漢字は本當に覺えるのが大變なのか」といふ記事で以前にも書いたのだが、アルファベットのやうな表音文字は存外、分りにくいものである。


例へば「猿人」とか「原人」、「新人」なんて書かれてゐると、専門的な知識がなくとも何となく意味が通ずる。「猿人」なら猿に近い人なんだな、とか。


これが表音文字で「オーストラロピテクス」とか「ホモサピエンス」なんて書かれたら、初めて見たときは意味の推測なんかできない。


「サピエンス」は羅甸語で「猿」の事なんだよ、とか教育されて、やつと意味が理會できるやうになる。


歐米の初等教育に於る國語教育に掛ける時間は、日本の倍以上である。漢字を覺える必要がないのに、何でそんなに時間が掛かるかといふと、アルファベットを覺えてもそれだけでは單語の讀書(よみかき)はできないからである。


言葉は一々、定義して教へなければならない。「猿人」を「猿」し「人」に部分分割して意味を理會するといふ訣には行かない。


つまり日本人は教育漢字や常用漢字を教へる事によつて、國語の教育時間を大いに節約してゐるのである。


韓國などは漢字を使はなくなつたのに、漢語だけは矢鱈と殘つてゐる。つまり「水素」を「すいそ(朝鮮語ではソイ)」なんて風に諺文(おんもん)で書くのだ。


「ソイ」では水素が水の素(もと)となる原子だといふ事にさへ氣づく事ができない。つまり教育の效率が惡いのである。


戰後の日本では「改竄」を「改ざん」と書くやうな事が平氣で行はれてゐる。僕は「改ざん」などといふ表記は見るだけで氣持惡いのだが、基本的に漢語を表音文字で表す事はできない。


例へば「チカン」は「痴漢」なのか、「置換」なのか。國語の假名文字表記など、莫迦莫迦しい話なのである。


漢字假名交り文を國語の正統表記とした日本は、江戸時代から世界で最も識字率が高い國だつた。識字率が低いのは表音文字だけの國か漢字だけの國の方なのである。