爾等(なんぢら)の中(うち)罪無き者は先づ石を以て之に投げよ
これは「イオアンに因る聖福音(ヨハネの福音書)」八章七節の言葉である。
譯文は正教會の「救主イイススハリストスの新約」に依つた。此處で御注目いただきたいのが、「罪」といふ言葉である。
この「罪」といふ言葉は「sin」なのか「crime」なのか。英語にはほかにも「offense」や「guilty」、「vise」などの罪を表す言葉があるが、今囘は其處までは説明しない。
「sin」とは宗教的、道徳的な罪で、「crime」は法律上の罪である。面倒くさいので、以後はシン、クライムと片假名で書く。
西洋人はシンとクライムを區別する。日本語や支那語にはシンの概念がないので、一緒くたに「罪」と譯すのが普通である。クライムは「犯罪」と譯される事もある。
そして「爾等(なんぢら)の中(うち)罪無き者」の「罪」は「シン」である。舊教で有名な「原罪」も「オリジナル・シン」で「シン」の事である。
因に「原罪」は基督教の教義ではない。正敎や景教(俗にいふネストリオス派)、コプト教會などには「原罪」といふ概念が無い。これは舊教以降に作られた概念である。
新共同譯では「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」となるそうだが(僕は口語譯は共同譯しか持つてない)、之は誤譯である。
普通、「犯罪」は「クライム」の譯語として使はれる。これでは前科者の意味になつて、大衆は喜むで石を投げたらう。
因にドストエフスキーの『罪と罰』の「罪」は「クライム」の方である。小林秀雄が『罪と罰』を評論したとき、神に對する罪がどうしたかうしたと論じて内村剛介に嗤はれた。
英語よりは漢語の方が語彙は豊富だと想ふのだが、それでも英語には漢語にはない概念が澤山ある。それは支那の文化と英語圈の文化が異次元の文化だからだ。
僕は毛唐(毛深い唐人の謂で差別的な意味は無い)の書いた文の譯に「罪」といふ言葉が出て來ると何時も迷つてしまふ。
日本の文化も西洋の文化とは異次元で成立してゐるので、「シン」の譯は「罪」だと丸諳記しても對應できない事が多い。
最後に「爾等(なんぢら)の中(うち)罪無き者は先づ石を以て之に投げよ」の飜譯を色々と引用してみよう。
ヘボン譯(文語、大正改譯、ヨハネ傳福音書)
なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲(なげう)て
新改譯(口語、ヨハネの福音書)
あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。
共同譯(口語、新共同譯ではない、ヨハンネスによる福音)
あなたたちの中(なか)で罪を犯したことのない人が、まず、この女に石を投げなさい
皆樣はどの譯が氣にゐられただらう。此の文だけ讀めば、共同譯と新共同譯は論外に想へるが。これ以外にも新約の飜譯は澤山あるが、手元にあるものだけ引用してみた。
イイススの此のエピソオドは後代に付加されたもので、古い聖書の寫本には載つてゐないさうだ。
これは「イオアンに因る聖福音(ヨハネの福音書)」八章七節の言葉である。
譯文は正教會の「救主イイススハリストスの新約」に依つた。此處で御注目いただきたいのが、「罪」といふ言葉である。
この「罪」といふ言葉は「sin」なのか「crime」なのか。英語にはほかにも「offense」や「guilty」、「vise」などの罪を表す言葉があるが、今囘は其處までは説明しない。
「sin」とは宗教的、道徳的な罪で、「crime」は法律上の罪である。面倒くさいので、以後はシン、クライムと片假名で書く。
西洋人はシンとクライムを區別する。日本語や支那語にはシンの概念がないので、一緒くたに「罪」と譯すのが普通である。クライムは「犯罪」と譯される事もある。
そして「爾等(なんぢら)の中(うち)罪無き者」の「罪」は「シン」である。舊教で有名な「原罪」も「オリジナル・シン」で「シン」の事である。
因に「原罪」は基督教の教義ではない。正敎や景教(俗にいふネストリオス派)、コプト教會などには「原罪」といふ概念が無い。これは舊教以降に作られた概念である。
新共同譯では「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」となるそうだが(僕は口語譯は共同譯しか持つてない)、之は誤譯である。
普通、「犯罪」は「クライム」の譯語として使はれる。これでは前科者の意味になつて、大衆は喜むで石を投げたらう。
因にドストエフスキーの『罪と罰』の「罪」は「クライム」の方である。小林秀雄が『罪と罰』を評論したとき、神に對する罪がどうしたかうしたと論じて内村剛介に嗤はれた。
英語よりは漢語の方が語彙は豊富だと想ふのだが、それでも英語には漢語にはない概念が澤山ある。それは支那の文化と英語圈の文化が異次元の文化だからだ。
僕は毛唐(毛深い唐人の謂で差別的な意味は無い)の書いた文の譯に「罪」といふ言葉が出て來ると何時も迷つてしまふ。
日本の文化も西洋の文化とは異次元で成立してゐるので、「シン」の譯は「罪」だと丸諳記しても對應できない事が多い。
最後に「爾等(なんぢら)の中(うち)罪無き者は先づ石を以て之に投げよ」の飜譯を色々と引用してみよう。
ヘボン譯(文語、大正改譯、ヨハネ傳福音書)
なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲(なげう)て
新改譯(口語、ヨハネの福音書)
あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。
共同譯(口語、新共同譯ではない、ヨハンネスによる福音)
あなたたちの中(なか)で罪を犯したことのない人が、まず、この女に石を投げなさい
皆樣はどの譯が氣にゐられただらう。此の文だけ讀めば、共同譯と新共同譯は論外に想へるが。これ以外にも新約の飜譯は澤山あるが、手元にあるものだけ引用してみた。
イイススの此のエピソオドは後代に付加されたもので、古い聖書の寫本には載つてゐないさうだ。