記紀に出て來る神には、異名が多い。これは多分、他の部族の神を摺合させたのだらう。かうした例は、外國にも無い訣ではない。
例へば、ヘブライ語には神を意味する言葉が十近くある。猶太教は一神教なのに、何故、神を顯す言葉がこんなに多いのか。
それは十二支族がそれぞれ別の神を持つてゐて、それを政治的に同じ神だとして摺合した結果だといふ説がある。
今囘の話題は佛教の本地垂迹説である。これは、印度の大黒天が日本では大國主として顯はれて、といふ具合に、佛典の神(經では天と謂ふ)を日本の神と摺合させたものだ。
一番最初に述べたやうに、日本の元からの神々も、色々な神々を摺合させてゐる。高皇産霊尊が高木の神だ、とか。
日本の佛教徒も、印度の神を日本の神に摺合させる事で日本への定著を圖つたのであらう。つまり、記紀の時代から日本にも神を摺合させる習慣があつて、それを印度の神に應用した。
本地垂迹説といふ日本にしか見られない奇説が出來たのは、日本の傳統的な情報處理に從つた結果だと、僕は想ふのである。
例へば、ヘブライ語には神を意味する言葉が十近くある。猶太教は一神教なのに、何故、神を顯す言葉がこんなに多いのか。
それは十二支族がそれぞれ別の神を持つてゐて、それを政治的に同じ神だとして摺合した結果だといふ説がある。
今囘の話題は佛教の本地垂迹説である。これは、印度の大黒天が日本では大國主として顯はれて、といふ具合に、佛典の神(經では天と謂ふ)を日本の神と摺合させたものだ。
一番最初に述べたやうに、日本の元からの神々も、色々な神々を摺合させてゐる。高皇産霊尊が高木の神だ、とか。
日本の佛教徒も、印度の神を日本の神に摺合させる事で日本への定著を圖つたのであらう。つまり、記紀の時代から日本にも神を摺合させる習慣があつて、それを印度の神に應用した。
本地垂迹説といふ日本にしか見られない奇説が出來たのは、日本の傳統的な情報處理に從つた結果だと、僕は想ふのである。