日本の歴史書は、不思議な存在である。支那の歴史書を眞似て作られてにも拘らず、支那の歴史書とは異質なのである。


勿論、支那思想の影響は色々なところに見えてゐる。例へば伊邪那岐、伊邪那美の國生(くにうみ)神話では、伊邪那美が先に聲を挂けたために蛭児(ひるこ)が産まれる。


これは支那の男尊女卑思想の影響と想はれてゐる。日本では「夫婦」を「めをと」と言つて、女が先に來る。本來の日本文化は男尊女卑ではないのである。


また初期の天皇は末子相續なのだが、記紀の書かれた時代は長子相續が普通なので、末子相續された理由づけに苦勞してゐる。長子相續も支那思想の影響である。


それにも拘らず日本の歴史書はあまりにも日本的である。例へば和訓を萬葉假名で書いて、日本語の發音を明示してゐる。朝鮮の歴史書はこんな事はしない。


そして一書(あるふみ)に曰く、と異説を竝記してゐる。支那の歴史書ではありえない事だ。支那の歴史書は公式史觀のプロパガンダなのだから。


つまり、記紀は戰後の學者の多くが主張してゐるやうな特定の人間(藤原不比など)による創作やプロパガンダではないのだ。かうした意見は支那の歴史書に影響を受けたものだらう。


最後に指摘したいのが『風土記』の存在である。この時代に地方史が編纂されてゐるのは、それだけで奇跡なのではないか。


ここでは記紀とは矛盾すると想へるやうな地方の言傳へが其の儘記録されてゐる。支那の歴史の『東夷傳』の類とは異質なものだ。


つまり日本の歴史書は支那思想の影響を強く受けながらも初めから日本的なのだ。日本人に支那人や朝鮮人などと共通の歴史觀など持てる筈がない。