獨逸軍には、頭の惡い怠け者は聯絡將校にし、頭の惡い働き者は銃殺にしろ、といふ名言がある。日本の文化では、頭の惡い働き者はさう惡くは評價されない。だが、一番の困つたちやんは此れなのである。


例へば三國志の姜維のやうな男だ。彼はいつも、自信たつぷりに決斷して失敗する。その點、日本では評判の惡い劉禪は、頭の惡いなまけものだつた。つまり、姜維よりは無害なのである。


諸葛亮だけでなく、後繼者の蔣琬も費褘も自分のしたいやうに政治を行つてゐる。劉禪に政治への関心が無いからだ。後宮に入り浸つても、魏の皇帝のやうなとんでもない浪費をする訣でもない。


だから皇帝は廃されない。自分のしたいやうに出來るのに皇帝の廢立なんてヤバイ橋は誰も渡らない。リスクの割にメリットが無い。


屬が滅びるときも、あつさり受け入れた。意地を張つて最後まで抵抗するやうな面倒な事はしない。さういふのは、ただの傍迷惑である。


劉禪のやうな人間は、もう少し評價されても良いのではないか。屬を滅ぼしたのは、劉禪ではなく諸葛亮や姜維である。戰爭の才能も無いのに北伐ばかりしてゐた。


蔣琬も費褘も、國費を浪費する北伐には愼重だつた。諸葛亮に出來なかつた事が自分たちに出來る筈がないと想つてゐた。


これらの人達が死んだ後に、頭の惡い働き者が頑張り出すのである。