クリスマスも近いので、イエスの話でも書かう。といつても僕は切支丹ではないので、實際に信仰されてゐる方には不快な事も書くかも知れない。その場合はただの雜談なので御容赦の程を。


五世紀頃に公會議で異端とされた所謂ネストリオス派は、使徒トマスによつて作られた教會といふ事になつてゐる。


使徒トマスはシリアあたりではイエスの雙子の兄弟と信ぜられた人で、勿論、僕はその眞僞を知らない。但し、トマスはキリスト(救世主)でも神でもない。


これがどういふ事かといふと、マリヤが處女ではない、と考へてゐた基督教徒が亞細亞には澤山ゐた、といふ事なのではないか。


イエスは神が妊ませたのかも知れないが、トマスの種は違ふだらう。同じ腹から生れたのなら、矢張やる事はやつてゐたのだ。


トマスについては、『トマスの福音書』や『トマス行傳』などの本が今日まで傳つてゐる。僞書扱なので聖書には含まれてゐないが、聖書にある四福音書も本當は全て僞書である。


舊約聖書の豫言には「若い女からメシヤ(救世主)が生まれる」とかいふ文があるさうで、それが希臘語に譯されたとき「處女からキリスト(救世主)が生まれる」となつた。


だからマリヤは處女でなければならなかつた。ただの誤譯が生んだ作話である。さうしなければ、豫言が成熟しない。


その他にも、キリストは「世の光」だから、聖書の福音書ではイエスは盲に光を與へる(目明にする)。イエスの逸話の殆んどは、かうした御都合主義に依るものである。


そして一部の地域の基督教徒にとつては、マリヤの膜などはどうでも良い話だつた。それよりも重要なのは、自分たちの教會がイエスの雙子の兄弟トマスによつて作られた、といふ事だつた。


聖書の専門家の間では知らぬ者の無いトマスの名前も、何故か日本では有名ではない。いい機會なのでクリスマスを利用して御紹介してみた。