基督教徒はだいたい何處の國でも、聖書や聖人に因んだ名をつける。ロシヤなどもさういふ國である。ただし革命期は宗教離が起つて變な名前が色々と登場した。ブルドーザとか。
レーニンの名前を逆(さかさ)にしたニニェルなんて名前も人氣があつたさうだ。といふより、基督教的な名前をつけにくくなつて、ロシヤ人は困惑したらう。
宗教的な傳統がなければ、だいたい人は身近なものの名を人名につけるやうだ。動物とか道具とか。記紀などを見ると「鯨」とか「鮪(しび)」なんて人名が載せられてゐる。
少し前の時代を見ると、女の子の名前では「鍋(なべ)」なんてのがあつた。何故これが女の名前かは理解に苦しむが、家事は女の仕事だつたからだらう。
現代の日本人には、漢字を適當に組合せて訓で讀むものが多い。「家康」で「いへやす」と讀ませたり。もつとも「一郎(いちらう)」のやうに音讀の名前も無い訣ではない。
最近の女の子の名前は、「☓子」といつた子のつく名前が激減してゐるさうである。まあ良い事である。庶民風情が「☓子」だなんて笑つてしまふ。
内親王は「眞子」、「愛子」と今でも「☓子」タイプである。皇族が使ふ分には身分相當と謂ふべきか。
さういへば山縣大弐は『柳子新論』で權兵衞といふ名の穢多を例に擧げて言葉の亂(みだれ)を憤慨してゐる。言葉の亂は世の亂と言ひたいのだ。
「權兵衞」といふ名前は現代語譯すると「防衛次官」て感じだらうか。庶民には重すぎる名前である。ただし最近は見かけなくなつた。言葉が正されてゐるのだらうか?
官位といふか役職から來た名前には「權兵衞」の他に「主計(かずえ)」とか「圖書(づしよ)」、「藏人(くらんど)」なんてのもあつたが、こちらも最近は御呼びでない。
支那の古典を讀むでゐると、「豹」とか「虎」、「於菟(おと)」なんて動物から採つた人名が能く出て來る。「於菟(おと)」は「虎」の南方(楚)方言である。
森鷗外の長男もたしか「於菟(おと)」といふ名前である。鷗外はこれを「オットー」と讀ませたかつたらしい。「不律」といふ子もゐて、こちらは「フリッツ」である。
女子には「茉莉(マリー)」とか「杏奴(アンヌ)」とかつけてゐる。明治時代のドキュンネームである。
父姓についても觸れるつもりだつたが、漫然と書いてたら長くなつたので此處で止めて置かう。「氏」や「姓(かばね)」についても、そのうち記事で説明しよう。
レーニンの名前を逆(さかさ)にしたニニェルなんて名前も人氣があつたさうだ。といふより、基督教的な名前をつけにくくなつて、ロシヤ人は困惑したらう。
宗教的な傳統がなければ、だいたい人は身近なものの名を人名につけるやうだ。動物とか道具とか。記紀などを見ると「鯨」とか「鮪(しび)」なんて人名が載せられてゐる。
少し前の時代を見ると、女の子の名前では「鍋(なべ)」なんてのがあつた。何故これが女の名前かは理解に苦しむが、家事は女の仕事だつたからだらう。
現代の日本人には、漢字を適當に組合せて訓で讀むものが多い。「家康」で「いへやす」と讀ませたり。もつとも「一郎(いちらう)」のやうに音讀の名前も無い訣ではない。
最近の女の子の名前は、「☓子」といつた子のつく名前が激減してゐるさうである。まあ良い事である。庶民風情が「☓子」だなんて笑つてしまふ。
内親王は「眞子」、「愛子」と今でも「☓子」タイプである。皇族が使ふ分には身分相當と謂ふべきか。
さういへば山縣大弐は『柳子新論』で權兵衞といふ名の穢多を例に擧げて言葉の亂(みだれ)を憤慨してゐる。言葉の亂は世の亂と言ひたいのだ。
「權兵衞」といふ名前は現代語譯すると「防衛次官」て感じだらうか。庶民には重すぎる名前である。ただし最近は見かけなくなつた。言葉が正されてゐるのだらうか?
官位といふか役職から來た名前には「權兵衞」の他に「主計(かずえ)」とか「圖書(づしよ)」、「藏人(くらんど)」なんてのもあつたが、こちらも最近は御呼びでない。
支那の古典を讀むでゐると、「豹」とか「虎」、「於菟(おと)」なんて動物から採つた人名が能く出て來る。「於菟(おと)」は「虎」の南方(楚)方言である。
森鷗外の長男もたしか「於菟(おと)」といふ名前である。鷗外はこれを「オットー」と讀ませたかつたらしい。「不律」といふ子もゐて、こちらは「フリッツ」である。
女子には「茉莉(マリー)」とか「杏奴(アンヌ)」とかつけてゐる。明治時代のドキュンネームである。
父姓についても觸れるつもりだつたが、漫然と書いてたら長くなつたので此處で止めて置かう。「氏」や「姓(かばね)」についても、そのうち記事で説明しよう。