黄文雄といふ評論家が、所謂從軍慰安婦について書いた本で朝鮮の貢女について觸れてゐた。支那に女を貢ぐのである。
黄氏は觸れてゐないが、朝鮮の貢女の歴史は意外と古い。ほかならぬ『日本書紀』に、それてついての記述を見つけた。雄略天皇五年の夏四月(うづき)の項である。
昔女人を貢(たてまつ)りて采女とせり。而(しか)るを既に禮(いや)無くして、我が國の名を失へり。今より以後(のち)、女を貢るべからず。
これは百濟の可須利君(かすりのきし)の言葉である。これは百濟の池津姫が日本で不羲を働いて燔殺(やきころ)された事に對する百濟側の反應である。詳しくは『日本書紀』を讀まれたし。
つまり朝鮮人は支那に貢女を贈る以前に、日本に采女として貢女を奉つてゐた。日本と百濟の關係が對等でなかつた事がこれだけで分つてしまふ。
因に日本に朝貢してゐた國は三韓だけではなく、後の勃海國もさうである。遣唐使の時代の事だが、勃海國との關係は唐よりも深い(使者派遣の囘數も規模も勃海國の方が大きい)
朝鮮は支那への貢女について文句を言つた事はない。勿論、日本への貢女についても問題になつた事はない。所謂從軍慰安婦は金を貰つて賣春してたのだから、貢女より待遇は良い。
黄氏は觸れてゐないが、朝鮮の貢女の歴史は意外と古い。ほかならぬ『日本書紀』に、それてついての記述を見つけた。雄略天皇五年の夏四月(うづき)の項である。
昔女人を貢(たてまつ)りて采女とせり。而(しか)るを既に禮(いや)無くして、我が國の名を失へり。今より以後(のち)、女を貢るべからず。
これは百濟の可須利君(かすりのきし)の言葉である。これは百濟の池津姫が日本で不羲を働いて燔殺(やきころ)された事に對する百濟側の反應である。詳しくは『日本書紀』を讀まれたし。
つまり朝鮮人は支那に貢女を贈る以前に、日本に采女として貢女を奉つてゐた。日本と百濟の關係が對等でなかつた事がこれだけで分つてしまふ。
因に日本に朝貢してゐた國は三韓だけではなく、後の勃海國もさうである。遣唐使の時代の事だが、勃海國との關係は唐よりも深い(使者派遣の囘數も規模も勃海國の方が大きい)
朝鮮は支那への貢女について文句を言つた事はない。勿論、日本への貢女についても問題になつた事はない。所謂從軍慰安婦は金を貰つて賣春してたのだから、貢女より待遇は良い。