『莊子』は、高校生の頃に通讀した。面白い寓話に滿た爲になる話が多かつた。中でも參考になつたのが、盜跖と呼ばれる大盗賊の話である。


盜跖は恐らく、盜つ人の跖さん、といつた感じの通稱なのだらう。孫臏や黥布と似た類の名前である。この大盗賊は非道の限りを盡して天壽を全うしたと云ふ。


この盜跖が手下に盜賊世界で出世する骨(コツ)を聞かれて、仁義禮智信のいづれが缺けても大盗賊には成れない、と答へてゐる。


つまり、手下を可愛がり(仁)、盜品は公平に分配し(羲)といつた事を當り前に出來なければならない。忘八野郎では大盗賊には成れないのである。それが、多くの人を使ふといふ事だ。


アウトローになつても、其處で大きくなる爲には世俗道徳の順守が必要とされる。それなら、社會をドロツプ・アウトして反體制を氣取る意味など無いではないか。


僕はそんな事を、樂生時代に『莊子』から學んだのである。老莊思想はさうした生きる上で大事な事を生存哲學なのである。