アーサー・ケストラーの『第十三支族』といふ本は、カザール(可薩)といふ中央亞細亞に突然現れた猶太教國家の歴史について書かれたものである。


この國はカガン(可汗)と呼ばれる聖王とペク(伯)と呼ばれる俗王の二元統治による政治が行はれてゐたが、ケストラーは夫(それ)を日本の天皇と將軍の關係と説明してゐる。


この聖王と俗王による二元統治は、南洋の諸民族に多く見られるものである。そして其處での聖王たちは、神聖すぎて不淨な現實の政治に關る事が出來ない。


恐らく蘇我氏は、日本の俗王だつたのだらう。大化の改新で俗王を廢した結果、日本は長い政治的混亂に陥る。


蘇我氏の替りに俗王と成るべきだつた藤原氏は俗事を嫌ひ、皇室同樣に神聖化して行つた。その結果、常備軍と死刑は廢止されたが、それで反亂と犯罪がなくなる訣ではない。


さうした穢れ仕事は貴族にさぶらふ者(サアバント、日本語では侍といふ)が引受けたから、その代表が征夷大將軍といふ名で俗王化したのは自然の流れである。


幕府が成立した事により日本は本來の機能する政治體制に戻つたのである。だが、支那の政治思想(儒教)の影響を受けた一部智識人には、さうした政治體制が歪で不自然なものに想はれた。


建武中興はさうした外來思想にかぶれた勢力が起した反動革命である。後醍醐天皇も楠木正成も、みな宋學にかぶれてゐた。それは中世のマルクス主義ではないか。


未開な支那社會の一元政治理論を先進的な日本の政治に移植しても真面に機能する筈がない。それは天皇制をただの搾取機關と見做す西洋の未開政治思想(マルクス主義)も同じである。


話は飛ぶが、明治維新後に反亂を起こした士族たちは、政府を第二の幕府と批難した。明治政府は首相といふ俗王を新に作り出したのだから、この批判は正しい(ただ僕は共感を覺えないが)


明治政府は第二の幕府と成つたからこそ生延びたのである。「天皇は政治社外のもの」といふ福澤諭吉の『帝室論』は、日本の傳統そのものなのである。