「大氣汚染は放射能より危險」といふ記事を、以前に書いた事がある。原發や放射線は危險なものだ。だが危險なものはそれだけではない。
自動車による排氣瓦斯や火力發電による大氣汚染の危險については、已に前の記事で述べた。これらは二酸化炭素も排出するから、原發なしで京都議定書を守る事など不可能だらう。
ほかにも、我々が毎日食べる食品には多くの人工的な化學物質が含まれてゐる。そして恐らくもつと怖いのが、天然や自然の食料である。
人工的な化學物質が含まれてゐる食品は、それをどの程度使つて良いかが法律で事細かに定められてゐる。つまり或る程度、リスク管理が成されてゐる。
勿論、自然食品にも規制が無い訣ではない。例へば鰒などは調理法が定められ免許まで存在する。だがこれは、例外の部類だらう。
自然の野菜には「自然農薬樣物質」を含むものがある。つまり農薬に使はれるやうな物質を自分で分泌する植物である。かういふ野菜には、農薬の規制値などは適用されない。
また自然鹽はミネラルが豊富で味が良い、とされてゐるが、何十年か前は販賣が禁止されてゐた。自然鹽は不純物が多くて要するに何が這入つてゐるか分からないから、工場で作つた塩化ナトリウムだけが販賣を許されてゐた。
このやうに、我々は幾つもの危險と共存してゐる。中には排氣瓦斯のやうに、年間數萬人の命を奪ふものまで容認してゐる。
反原發運動家の中には、放射線ゼロの日本、などと曰ふ人がゐるが、彼らの頭は大丈夫なのだらうか。
本當に放射線ゼロを目指すなら、原發だけでなく火力發電所も止めなければならない。本氣でそんな事を目指してゐるなら、かれらは眞性の環境テロリストである。
我々を圍む危險に對して我々ができる事は、ポートフォリオを作成してリスクを最小化する事だけである。それでも年間に何萬もの人命が失はれるだらう。
「放射線ゼロの日本」などのスロオガンは、かうしたポートフォリオの作成を著しく困難にする。放射線がゼロになれば、國民の半分以上が餓死しても良いのか。
我々の殆んどは電氣が無ければ炊事も出來ない。火を起こして飯を炊けば二酸化炭素が排出して京都議定書を守る事もできない。「放射線ゼロの日本」の現實の姿である。
自動車による排氣瓦斯や火力發電による大氣汚染の危險については、已に前の記事で述べた。これらは二酸化炭素も排出するから、原發なしで京都議定書を守る事など不可能だらう。
ほかにも、我々が毎日食べる食品には多くの人工的な化學物質が含まれてゐる。そして恐らくもつと怖いのが、天然や自然の食料である。
人工的な化學物質が含まれてゐる食品は、それをどの程度使つて良いかが法律で事細かに定められてゐる。つまり或る程度、リスク管理が成されてゐる。
勿論、自然食品にも規制が無い訣ではない。例へば鰒などは調理法が定められ免許まで存在する。だがこれは、例外の部類だらう。
自然の野菜には「自然農薬樣物質」を含むものがある。つまり農薬に使はれるやうな物質を自分で分泌する植物である。かういふ野菜には、農薬の規制値などは適用されない。
また自然鹽はミネラルが豊富で味が良い、とされてゐるが、何十年か前は販賣が禁止されてゐた。自然鹽は不純物が多くて要するに何が這入つてゐるか分からないから、工場で作つた塩化ナトリウムだけが販賣を許されてゐた。
このやうに、我々は幾つもの危險と共存してゐる。中には排氣瓦斯のやうに、年間數萬人の命を奪ふものまで容認してゐる。
反原發運動家の中には、放射線ゼロの日本、などと曰ふ人がゐるが、彼らの頭は大丈夫なのだらうか。
本當に放射線ゼロを目指すなら、原發だけでなく火力發電所も止めなければならない。本氣でそんな事を目指してゐるなら、かれらは眞性の環境テロリストである。
我々を圍む危險に對して我々ができる事は、ポートフォリオを作成してリスクを最小化する事だけである。それでも年間に何萬もの人命が失はれるだらう。
「放射線ゼロの日本」などのスロオガンは、かうしたポートフォリオの作成を著しく困難にする。放射線がゼロになれば、國民の半分以上が餓死しても良いのか。
我々の殆んどは電氣が無ければ炊事も出來ない。火を起こして飯を炊けば二酸化炭素が排出して京都議定書を守る事もできない。「放射線ゼロの日本」の現實の姿である。