「老莊思想」について、先日さる市會議員の主催する勉強會で話す機會があつた。僕にとつては餘に當り前の話しだつたが、意外と好評だつたので賦綠に再録してみたい。
僕が『老子(道徳經)』や『莊子』を初めて讀んだのは、三十年以上前の學生の頃の事だつた。『老子』は五度くらゐ讀んだらうか。『莊子』は一度だけだが、内篇だけでなく外篇、雜篇まで全て讀んだ。
そして気づいたのは、老莊思想はダイ・ハアドな時代を生き抜く爲の處方箋だといふ事である。守屋洋も老莊思想を「生存哲學」と解説してゐるから、僕の特異な解釋といふ訣ではあるまい。
特に『莊子』は、上位や下位ではなく、中位に身を置く事を重んずる。上位にゐては狙われやすくて生殘る事が困難である。また、下位にゐてはいいやうに使はれて磨潰されてしまふ。
「無爲自然」の説のやうに、老莊思想が社會の發展や進歩に無關心に見えるのは、關心がまづ生殘る事にあるからだ。戰國時代のやうに生きるのが困難な時代に社會の進歩などは何うでも良い事だ。
だから嚴密には、老莊思想は虚無思想ではない。生存といふ絶對の價値觀が根柢にるのだ。その前では富も權力も虚しいのは當然である。
此の思想の影響を受けた竹林の七賢は、抑、政治的に微妙な立場にある人たちだつた。だから政治になんて關心が無いといふパフォーマンスをしたのである。老莊思想を深く理解してゐたのだらう。
文化大革命時代の支那では、「中游思想」といふものが民衆に流行りだす。眞ん中だ、眞ん中だ、先頭に立つて紅旗を振るのもサボタージュするのも危險なパフォーマンスである。
このやうに支那人たちは老莊思想を、生存哲學として理解して來た。生存が目的だから、後に民間宗教と結びついて導引術などが生まれる。
そして支那のやうなダイ・ハアドな世界に生きた事のない日本人は、此の思想を何やら深遠な哲理のやうに誤解するのである。
僕が『老子(道徳經)』や『莊子』を初めて讀んだのは、三十年以上前の學生の頃の事だつた。『老子』は五度くらゐ讀んだらうか。『莊子』は一度だけだが、内篇だけでなく外篇、雜篇まで全て讀んだ。
そして気づいたのは、老莊思想はダイ・ハアドな時代を生き抜く爲の處方箋だといふ事である。守屋洋も老莊思想を「生存哲學」と解説してゐるから、僕の特異な解釋といふ訣ではあるまい。
特に『莊子』は、上位や下位ではなく、中位に身を置く事を重んずる。上位にゐては狙われやすくて生殘る事が困難である。また、下位にゐてはいいやうに使はれて磨潰されてしまふ。
「無爲自然」の説のやうに、老莊思想が社會の發展や進歩に無關心に見えるのは、關心がまづ生殘る事にあるからだ。戰國時代のやうに生きるのが困難な時代に社會の進歩などは何うでも良い事だ。
だから嚴密には、老莊思想は虚無思想ではない。生存といふ絶對の價値觀が根柢にるのだ。その前では富も權力も虚しいのは當然である。
此の思想の影響を受けた竹林の七賢は、抑、政治的に微妙な立場にある人たちだつた。だから政治になんて關心が無いといふパフォーマンスをしたのである。老莊思想を深く理解してゐたのだらう。
文化大革命時代の支那では、「中游思想」といふものが民衆に流行りだす。眞ん中だ、眞ん中だ、先頭に立つて紅旗を振るのもサボタージュするのも危險なパフォーマンスである。
このやうに支那人たちは老莊思想を、生存哲學として理解して來た。生存が目的だから、後に民間宗教と結びついて導引術などが生まれる。
そして支那のやうなダイ・ハアドな世界に生きた事のない日本人は、此の思想を何やら深遠な哲理のやうに誤解するのである。