加留多とりで和歌を覺えるのは素晴らしい習慣だとき想ふのだが、色々と問題が無い訣ではない。まづ、『小倉百人一首』は加留多とりを想定して選定された歌ではない。
それに藤原定家は平安時代以前の和歌といふものを、基本的に理解してゐない。この點については、現在出廻つてゐる樣々な解説書も似たやうなものである(小松英雄が指摘してゐる)
それなら、加留多とりの和歌はどう選定すべきか。想ひつくままに條件を提案してみる。何處かの團體がそれにもとづいて新加留多を作つてくれないだらうか。
・五、七五、七七のリズム(律)の歌だけ選ぶ
和歌には色々な區切り方があるが、特定のリズムの歌だけを集める。
・詞書のある和歌は原則として採用しない。
意味を理解するために詞書が必要な歌は、歌だけを讀む加留多に向かない。
・目で讀む事を前提とした歌は辟ける。
平安初期に多い。假名文の性質を活かした難解な歌である。聲を出して讀むのに向かない。
・現代の和歌を入れても良いが、現代假名遣や國文法を無視したものは排除する。
目的は國語の模範となる歌を集める事である。正しい文語のみを採用する。
・マイナーな歌を本歌取りしてゐるものは辟ける。
本歌取り自體は重要な和歌の技法なので排除しない。
こんなものだらうか。『愛國百人一首』などのやうに設計思想(愛國)に本づいて集めるのも面白いかも知れない(ただし『愛國百人一首』も加留多には向かない)
『平成百人一首』は、良い歌を集めたといふだけで設計思想が能く分らない。勿論、加留多には向かない歌が多數ある。
特に加留多の場合はリズムが大事である。一定のリズムで覺えるのが效率の良いやり方なので、他の歌とリズムが異なる歌は意味の理解の碍(さまたげ)と成る。
個人的な趣味としては、勅撰和歌集のやうに春夏秋冬、戀、羈旅などをバランスよく選んで欲しい。
このやうに加留多とりに特化した百人一首を、誰か作つてくれないだらうか。暗記すると古典文法が理解しやすくなるやうに、歌を集めると良いかも知れない。
それに藤原定家は平安時代以前の和歌といふものを、基本的に理解してゐない。この點については、現在出廻つてゐる樣々な解説書も似たやうなものである(小松英雄が指摘してゐる)
それなら、加留多とりの和歌はどう選定すべきか。想ひつくままに條件を提案してみる。何處かの團體がそれにもとづいて新加留多を作つてくれないだらうか。
・五、七五、七七のリズム(律)の歌だけ選ぶ
和歌には色々な區切り方があるが、特定のリズムの歌だけを集める。
・詞書のある和歌は原則として採用しない。
意味を理解するために詞書が必要な歌は、歌だけを讀む加留多に向かない。
・目で讀む事を前提とした歌は辟ける。
平安初期に多い。假名文の性質を活かした難解な歌である。聲を出して讀むのに向かない。
・現代の和歌を入れても良いが、現代假名遣や國文法を無視したものは排除する。
目的は國語の模範となる歌を集める事である。正しい文語のみを採用する。
・マイナーな歌を本歌取りしてゐるものは辟ける。
本歌取り自體は重要な和歌の技法なので排除しない。
こんなものだらうか。『愛國百人一首』などのやうに設計思想(愛國)に本づいて集めるのも面白いかも知れない(ただし『愛國百人一首』も加留多には向かない)
『平成百人一首』は、良い歌を集めたといふだけで設計思想が能く分らない。勿論、加留多には向かない歌が多數ある。
特に加留多の場合はリズムが大事である。一定のリズムで覺えるのが效率の良いやり方なので、他の歌とリズムが異なる歌は意味の理解の碍(さまたげ)と成る。
個人的な趣味としては、勅撰和歌集のやうに春夏秋冬、戀、羈旅などをバランスよく選んで欲しい。
このやうに加留多とりに特化した百人一首を、誰か作つてくれないだらうか。暗記すると古典文法が理解しやすくなるやうに、歌を集めると良いかも知れない。