周王朝初期に三つの首都が存在した事については、以前にも記事を書いた。正直言つて僕は、この數字の三の意味を解しかねてゐた。


周王朝初期に三つの首都は、要するに宗教(祭祀)と軍事、行政と都市の機能を分割してゐるのだある。これについて想はぬところに、意味を理解するとつかかりを見つけた。


スキタイの三種の神器である。それは盃、戰斧、耕具であり、宗教と軍事、食料生産と對應する。そして周王朝の三都がぴつたり此れに對應するではないか。


もともと西戎(西の野蠻人)であつた周の文明は、スキタイ系の文明と接觸があつたのだ。それは日本や印度でも同じ事が言へる。


吉田敦彦氏はスキタイと日本の三種の神器についての考察を『日本の神話の起源』で行つてゐる。また、印度のカースト制度も、かうした文化から生まれたものなのである。


恐らくはスキタイ文化の影響を受けたアーリア人は、婆羅門教(聖職者)とクシャトリヤ(軍人)、バイシャ(庶民)の三階級で構成されてゐた。


彼らが印度を侵掠したとき、先住民はスードラ(奴隸)としてカーストの四階級が成立した。つまり、印度の階級は3+1といふ形で説明できるのださうだ。


これで我々は、歐羅亞細亞の古代社會を分析する二つの道具を得た。まづはポリネシアや北歐羅亞細亞で散見される聖王と俗王の二元政治。


そしてスキタイの三種の神器に對應した三階級の社會だ。日本の古代社會は此の兩方の影響を受けてゐる、と想ふ。


日本の古代社會は、キミ(君)、オミ(臣)、タミ(民)の三階級で構成されてゐる。オミは多分、軍人階級が貴族化したのだらう。


蘇我氏が自分の屋敷をミカドと呼んでゐたやうに、昔の蘇我・藤原、後の征夷大將軍などは日本の俗王だつたやうに想はれる。


孔子が先王の道と呼びながら全く理解してゐなかつた周王朝の設計思想が、少しづつ明らかになりつつある。そして此の設計思想が壊れた事が、新たな支那史を産むのである。