最近は食費を節約するため、胚芽米を食べてゐる。玄米や胚芽米は、榮養的にはほぼ完全食といへるだらう。あとはふりかけとか納豆を掛けて、倦きないやうにする。


和食のコースは大抵、最後に白米が出る。かつての日本人にとつては、あれがデザアトなのだ。だが、僕の世代はもう、白い米を食べられるだけで嬉しいといふ人種ではない。


それは置いといて、胚芽米は玄米ほど不味くはなく、榮養のバランスも良い。金に困つたときは、便利な食材である。


ただし、僕は玄米や胚芽米を他人には奬めない。これらが或る意味で危險な食材である事も理解してゐるからだ。


玄米が建興に良い、といふ話ばかり聞いてゐる人には意外かも知れないが、米で一番農藥を吸收するのは、胚芽の部分なのである。


無農藥米なら、と想ふ方もゐられやうが、それも怪しいものである。僕の親戚の百姓は、「低農藥米なら理解できるが無農藥で米が作れるとは想へない」と言つてゐた。


江戸時代には無農藥だつたらう、と想はれる方もゐられるだらうが、江戸時代の耕地面積はそれほど大きくない。現代の米は昔なら水田に成らなかつたところでも作られてゐる。


それに、人糞の肥料には色々と問題が多い。どんな人間の糞だか分つたものではない。回蟲の卵くらゐで濟めば儲けものだ。


家畜の糞は、人糞よりは安心である。家畜は牧場でしつかり管理されてゐるからだ。ただし、家畜管理の爲に色々な藥劑を飲まされてゐる確率が高い。つまり農薬と大差ない。


要するに、無農藥の玄米や胚芽米も安心はできないのだ。だから御金に餘裕のある人は、白米を食べて他の榮養分は副食で採りませう。


寿命の事も考へたら、それが一番、安上がりかも知れない。