「働」といふ漢字を、皆樣は御存知だらう。意外な事に此の字は支那には無い國字なのである。例へは支那では、「勞働」は「勞動」と書く。


支那人には、「働」と「動」の概念の區別が無いのである。ロボツトも人間も「動く」のであつた「働く」のではない。人編が無いのだ。


支那には「勞動改造(ラオドンガイザオ)」といふ收容所がある。出來たのはたしか文革の時だ。反革命分子を勞働を通じて學ばせる施設で、そこには思想信條の自由など存在する餘地もない。


文革の頃は多くの知識人が反革命分子と見做され勞動改造(ラオドンガイザオ)キヤンプへ送られて、重勞動をさせられて死ぬで行つた。


當時は特殊な分野の専門家でも正しい政治思想(毛澤東主義)を繼續的に學ぶ必要があつた。そんなもの興味が無いと言へば、勞改(ラオガイ)送りである。


以前、二松學舍の伊藤潔教授から、支那人が「牛馬の如くはたらく」と言へば、それは例へではないよ、と教はつた事がある。牛馬の代りに耕耘機を引く人の繪なども見せていただいた。


勞動改造(ラオドンガイザオ)キヤンプではたらくとは、さういふ事なのである。たしかに「働」と「動」の區別など無用な社會なのかも知れない。


現在の支那は文革の頃の反動で、政治局員には工學博士や理學博士が多數存在する(僕はこれもどうかと思ふ。政治には政治の専門家が必要だ)


だが、あの國で毛澤東が公式に否定された事はない。大袈裟でなく自國民を何千萬人(一説では一億人)も殺した殺人鬼が、今日でも建國の英雄として扱はれてゐる。


支那は原爆實檢の時に、ウヰグル人を大量虐殺してゐる。西藏(チベツト)人も繼續的に殺し續けて漢民族を入植させてゐる。だが、彼らが大量に虐殺したのは、異民族だけではない。


そして共産黨を批判すれば、殺されないまでも勞動改造(ラオドンガイザオ)で御勉強させられる。これが今日でも生き延びた社會主義國家の實體である。


支那には約五十種の異民族がゐる。だが、それらの人口は支那の人口の一割にも満たない。漢民族のエスニツク・クレンヂングは成功するだらう。