中江兆民は明治の時代にルソオの『民約論』を譯した事で高名である。人によつては共和主義者かと勘違ひされるかも知れないが、この時代の人は殆んどが尊皇主義者である。
諸侯の民を萬民と言ひ、天子の民を兆民と言ふ。中江兆民といふ名前も、天子の民であるといふ意識からつけられた名前の筈である。明治時代には説明不要だつた事が平成になると通じない。
江戸時代にロシヤに漂流した大黒屋光太夫の論述をもとに、桂川甫周は『北槎聞略』を書いた。前半は漂流した光太夫の話で、後半はロシヤの風俗や地史が書かれてゐる。
光太夫は皇國の民であるため、ロシヤでは丁重な扱ひを受けてゐる。すくなくとも『北槎聞略』にはさう書かれてゐる。當時から世界では、日本が皇帝(天皇)の支配する國である事が常識だつたらしい。
この本には、昔のキリル文字が圖會として載せられてゐる。昔といふのは、ロシヤは共産革命後に國字改革を行ひ、若い世代が昔の本を讀む事ができないやうにした。
共産黨に都合の良い本だけを、新字體にして出版するのである。だからロシヤ人には文化の斷絶がある。これは恐ろしい事ではないか。
さういへば共産化もしてゐないのに國字改革をした國も存在した。文部省の役人は共産思想にかぶれてゐたのではないか、と想はれる。
僕の賦録(ブログ)の讀者はどういふ人達なのだらう。さうした文部省の隱謀にも拘らず、毎日四五百、多い時は七百八十のアクセスがあつた。
もう一つだけ薀蓄を。天子によつて封ぜられた諸侯を「君主」といふ。諸侯から領地を貰つた貴族達は「主君」と呼ばれる。「君主」と「主君」とは元は意味が異なるのである。
天子は天を祭り、諸侯は山川を祀る。諸侯が勝手に天を祭れば謀叛と見做される。日本の天皇は毎年稻を植ゑられるが、古代支那の帝王は決まつた時期に魚釣りをした。
勿論、日本同樣に支那の帝王の釣りも意味のある宗教儀式なのである。支那も歐羅巴も今日では、さういふ儀禮の多くが失はれてしまつた。
シェークスピアの『マクベス』には、イングランド王の手當についての記述がある。醫師に見放された難病患者に王が金貨を與へて神に禱ると、あら不思議業病が快瘉するのだ。
かうした王の靈感治療の傳統は仏蘭西にもあつたが、ルイ十六世の代に途絶えた。不合理だからと王が治療を拒否したのである。
だが傳統儀禮の大半は近代的な價値觀では不合理なものである。王が何らかの意味で神でないなら、王朝を維持する必要なんてない。
仏蘭西に王朝が途絶え、日本に今日でも現人神の天皇が君臨しつづけてゐるのは、理由のある事なのだと想ふ。
諸侯の民を萬民と言ひ、天子の民を兆民と言ふ。中江兆民といふ名前も、天子の民であるといふ意識からつけられた名前の筈である。明治時代には説明不要だつた事が平成になると通じない。
江戸時代にロシヤに漂流した大黒屋光太夫の論述をもとに、桂川甫周は『北槎聞略』を書いた。前半は漂流した光太夫の話で、後半はロシヤの風俗や地史が書かれてゐる。
光太夫は皇國の民であるため、ロシヤでは丁重な扱ひを受けてゐる。すくなくとも『北槎聞略』にはさう書かれてゐる。當時から世界では、日本が皇帝(天皇)の支配する國である事が常識だつたらしい。
この本には、昔のキリル文字が圖會として載せられてゐる。昔といふのは、ロシヤは共産革命後に國字改革を行ひ、若い世代が昔の本を讀む事ができないやうにした。
共産黨に都合の良い本だけを、新字體にして出版するのである。だからロシヤ人には文化の斷絶がある。これは恐ろしい事ではないか。
さういへば共産化もしてゐないのに國字改革をした國も存在した。文部省の役人は共産思想にかぶれてゐたのではないか、と想はれる。
僕の賦録(ブログ)の讀者はどういふ人達なのだらう。さうした文部省の隱謀にも拘らず、毎日四五百、多い時は七百八十のアクセスがあつた。
もう一つだけ薀蓄を。天子によつて封ぜられた諸侯を「君主」といふ。諸侯から領地を貰つた貴族達は「主君」と呼ばれる。「君主」と「主君」とは元は意味が異なるのである。
天子は天を祭り、諸侯は山川を祀る。諸侯が勝手に天を祭れば謀叛と見做される。日本の天皇は毎年稻を植ゑられるが、古代支那の帝王は決まつた時期に魚釣りをした。
勿論、日本同樣に支那の帝王の釣りも意味のある宗教儀式なのである。支那も歐羅巴も今日では、さういふ儀禮の多くが失はれてしまつた。
シェークスピアの『マクベス』には、イングランド王の手當についての記述がある。醫師に見放された難病患者に王が金貨を與へて神に禱ると、あら不思議業病が快瘉するのだ。
かうした王の靈感治療の傳統は仏蘭西にもあつたが、ルイ十六世の代に途絶えた。不合理だからと王が治療を拒否したのである。
だが傳統儀禮の大半は近代的な價値觀では不合理なものである。王が何らかの意味で神でないなら、王朝を維持する必要なんてない。
仏蘭西に王朝が途絶え、日本に今日でも現人神の天皇が君臨しつづけてゐるのは、理由のある事なのだと想ふ。