「人民」といふ言葉が日本で使はれたのは意外と古く、既に『日本書紀』に出て來るのださうである。もつとも當時はこれを「おほみたから(大御宝)」と訓じたらしい。
漢文の「人民」といふ言葉は、「人」と「民」とでは意味が異なる。要するに政府の役人が「人」で在野の民衆が「民」なのである。
以前にも述べたやうに「民」といふ漢字は目に針を刺す字形である。昔は奴隸が逃げないやうに目を潰したり足の筋を切つたりした(昔の事とばかりは言へないかも知れない)
「人」といへば、アイヌといふ言葉は「人間」といふ意味ださうである。僕の高校時代の歴史の先生は、かういふ民族名の附け方は珍しい、と評してゐたが、僕にはありふれた發想に想へる。
「夏」といふ漢字は「冠をして服を著た人の字形」ださうである。周囲の四夷(野蠻人)に對する優越意識丸出しである。
「夏」の元になつた甲骨文字も、人の顔の繪ださうである。自分たちだけが人間だと考へてゐたのだ。だから周邊の羌族などを獵して神に捧げたりした。
アイヌの發想もこれに近いのではないか。和人といふサルに出會つて區別するために、俺達は人間だと主張したのではないか。
僕は故・宇野清一東大名譽教授から、「中國」といふ言葉は「四夷」とセットになつた差別用語である、と習つた。
「東夷」、「西戎(せいじゆう)」「南蠻(なんばん)」「北狄(わくてき)」を纏めて「四夷」と謂ふ。日本人は勿論、東夷である。
かういふ身勝手な發想は多かれ少なかれどの民族にもあるものだ、と想ふ。さういへば南阿弗利加にはズウル族といふ部族がゐるが、ズウルとは「天使」の意味ださうである。
南阿弗利加史を少し調べれば分る事だが、周邊の部族でズウル族を天使のやうな部族と想つてゐる奴など誰もゐまい。白人よりも残虐な連中と想はれてゐるのではないか。
日本にも「隼人」や「蝦夷(えみし)」がゐた。僕などは多分、蝦夷の末裔(ばつえい)なのだらう。僕は札幌出身だが、本貫は宮城縣の色麻(しかま)である。
坂上田村麻呂は蝦夷征伐の爲に色麻に基地を置いてゐる。
漢文の「人民」といふ言葉は、「人」と「民」とでは意味が異なる。要するに政府の役人が「人」で在野の民衆が「民」なのである。
以前にも述べたやうに「民」といふ漢字は目に針を刺す字形である。昔は奴隸が逃げないやうに目を潰したり足の筋を切つたりした(昔の事とばかりは言へないかも知れない)
「人」といへば、アイヌといふ言葉は「人間」といふ意味ださうである。僕の高校時代の歴史の先生は、かういふ民族名の附け方は珍しい、と評してゐたが、僕にはありふれた發想に想へる。
「夏」といふ漢字は「冠をして服を著た人の字形」ださうである。周囲の四夷(野蠻人)に對する優越意識丸出しである。
「夏」の元になつた甲骨文字も、人の顔の繪ださうである。自分たちだけが人間だと考へてゐたのだ。だから周邊の羌族などを獵して神に捧げたりした。
アイヌの發想もこれに近いのではないか。和人といふサルに出會つて區別するために、俺達は人間だと主張したのではないか。
僕は故・宇野清一東大名譽教授から、「中國」といふ言葉は「四夷」とセットになつた差別用語である、と習つた。
「東夷」、「西戎(せいじゆう)」「南蠻(なんばん)」「北狄(わくてき)」を纏めて「四夷」と謂ふ。日本人は勿論、東夷である。
かういふ身勝手な發想は多かれ少なかれどの民族にもあるものだ、と想ふ。さういへば南阿弗利加にはズウル族といふ部族がゐるが、ズウルとは「天使」の意味ださうである。
南阿弗利加史を少し調べれば分る事だが、周邊の部族でズウル族を天使のやうな部族と想つてゐる奴など誰もゐまい。白人よりも残虐な連中と想はれてゐるのではないか。
日本にも「隼人」や「蝦夷(えみし)」がゐた。僕などは多分、蝦夷の末裔(ばつえい)なのだらう。僕は札幌出身だが、本貫は宮城縣の色麻(しかま)である。
坂上田村麻呂は蝦夷征伐の爲に色麻に基地を置いてゐる。