題名を見て誤解された方がいらつしやるかも知れないが、ハイデガアや實存主義の話をする心算(つもり)はない。今囘の主題は日本人にとつての時間の概念である。


まづ猶太の話から。イスラエルではいまだに猶太暦を使つてゐる。アダムとエバの生誕から數えて五千何百年といふやつである。そして彼らの暦では、夕方の六時に一日が始まる。


昔は陽が沈むでから、一日が始まつた。現在は何處も定時法なので、夕方六時に定めてある。定時法と不定時法についても、今囘の記事でちやんと説明する。


我々は現在、深夜零時に一日が切り替わる西洋式暦法を使用してゐるが、本來の日本人にとつて一日の始まりは日の出なのである。猶太とは眞逆だ。


パレスチナは沙漠なので、太陽が出てゐるうちは活發な活動が出來ない。夕方から一日が始まるのは、さういふ風土が産むだ慣習らしい。


次に不定時法の説明をする。江戸時代の日本人は、明け方から日の入りまでを六等分して時刻を數えた。江戸時代の一時(いつとき)は今日の二時間と説明してゐる百科事典がいるが、間違ひである。


何故なら、季節によつて一時の長さが變はるからだ。それで問題が無いのかつて、江戸時代は問題なく使はれてゐた。むしろ今日のサマアタイムよりは合理的なのではないだらうか。


江戸時代の和時計も不定時法に對應してゐる。月毎に文字盤を入れ替へるのだ。現代の技術なら、もつと簡單に和時計を實現できるだらう。何處かのメーカーが販賣してくれないだらうか。


江戸時代は昼を六等分、夜も六等分して十二の時で一日を刻んだ。「二六時中」といふ言葉がある。現在は西洋式に氣取つて「四六時中」といふ人がゐる。二六十二、四六二十四といふ訣である。


猶太も日沒から一日が始まる事から分るやうに、もともとは不定時法だつた。といふか、古代文明は不定時法が主流なのではないか。


江戸時代の暦は太陰暦だから、日付を聞けば月の形が分つた。十五日の月は滿月と決まつてゐる。夜盜などには便利な暦である。滿月の夜は明るいから出勤しない、なんてことが可能だ。


實は僕は、仕事を引退したら和暦(舊暦)を使用して和時計で生活したいと考へてゐる。僕はテレビを見ないから、番組の時刻に縛られず、それで困る事などほとんどない。


といふか、日月のリズムに從つた生活の方が快適なのでは、と夢想してゐるのである。