山縣大貳は『柳子新論』といふ著作で、當時(江戸時代)の名前の亂れを指摘してゐる。浪人や百姓、町人、穢多非人までもが、例へば「○○兵衞」と名乘る。


「兵衞」は本來は「べゑ」ではなく「ひやうゑ」で、今日で謂へば防衛大臣を指す一般名詞である。「權兵衞」が副大臣と謂つた處か。


我々は「非人の十兵衞」なんて聞いても特に違和感は感じない。江戸時代の人もさうだつたらしい。だが山縣大貳にとつては、それは名の亂れで、政治の亂れが具現化したものである。


山縣大貳が特に許せなかつたのは、たかが「將軍」が皇帝のやうに實際の政治権力を握つてゐる事であつた。そのために山縣は將軍の放伐を主張する。


山縣は儒者だから放伐も革命も肯定してゐる。しかし不思議な事に、將軍を放伐しろとは主張しても天皇家を放伐しろとは主張しない。


朱子學の論理で考へれば天皇家が政治の實權を失ひつつあるのは天命が天皇家を離れつつあるのだから、天皇家を放伐して將軍が眞の皇帝に即位すれば良いだけの話だ。易姓革命といふ。


それなのに日本の儒者はかうした事を主張どころか考へもしてゐないやうなのである。名を正す、とはあくまでも倒幕であつて天皇制打倒ではないのだ。


いまさらだが、日本と支那は異質な社會である。それを官名だけ支那から輸入して實態は日本式のままだから、名が亂れるのは當り前なのである。


だからといつて、山縣大貳が單純に夢想したやうに本來の意味で名を正せば、日本は日本ではなくなつてしまふ。


だからと言つて支那にも成れず、恐らくは似非支那社會が出來て、我々は似非支那人として生きる事になる。今日の我々が僞西洋社會に生きる僞毛唐であるやうに。


ともあれ山縣の『柳子新論』が明治維新を用意した思想の一つであることは間違ひない。