「世界のをとこ、貴(あて)なるも賤しきも」これは『竹取物語』にある文章である。今日と殆ど同じ意味で「世界」といふ言葉が使はれてゐる。


來月から鎌倉で『竹取物語』を讀む會が始まるので、本屋で『竹取物語』を買つて來た。それで讀むでゐたら見つけたのが上記の文である。


「世界」はもともとは佛教用語だといふ。僕はもつと新しい言葉だと想つてゐた。實際は奈良時代だか平安時代から使はれてゐた言葉だつたといふ訣だ。


まだ最初の方しか讀むでゐないが、これなら註を確認しながら最後まで讀めさうである。最近、本屋で『古事記』の現代語譯といふのをみつけたので『竹取物語』の譯もあるのかも知れないが餘計な世話である。


もつとも最近の若い人は樋口一葉も現代語譯で讀むらしい。あの文語の美文を現代語なんかに譯して讀むでも興ざめだらう。


因に「世界」同樣に次の言葉も皆、佛教用語である。「三昧」、「甘露」、「彼岸」、「地獄」、「極樂」、「淨土」、「穢土」、etc


「恆河沙」や「阿僧祇」、「那由他」なんて數も佛典を漢譯して出来た言葉である。元々、支那の數は「億」か「兆」くらゐまでしかなかつたと想ふ。


十進數だから、「億」は今日でいふ「十萬」の謂である。今日のやうな萬進數が採用されたのは、日本では江戸時代で支那でも最近の事だつたと想ふ。


以前にも述べたが、「支那」も佛教用語である。支那人が佛典を漢譯したときに作つたのだ。當時の支那の佛教徒にとつて「中國」とは釋尊の生まれた地の事だから、自分達の國は「支那」や「震旦」と表記した。


『今昔物語』は「天竺」「震旦」「本朝」の三部構成である。「天竺」が今日の印度、「震旦」は支那の事、「本朝」が日本である。合せて「三國」といふ。


だから「三國一の花嫁」なんてのはさういふ意味の言葉である。當時の日本人にとつて、それが「世界」だつたのである。これは本朝に限つた事ではない。


『三國志』では、「親魏王」に封ぜられた異民族は「倭」と「大月氏」だけだ。「倭」が今日の日本で「大月氏」は當時、北印度を支配してゐた。


支那人にとつて異民族は周囲に幾らでもゐたが、「親魏王」として氣を使はなければならない存在は日本と印度だけだつたのである。