數學と漢文が、昔から僕は好きだつた。といふ訣で、本日は大人の爲の漢文講座を開く。次の白文を書き下して譯してみてほしい。
我善歌
書き下し文はそんなに難しくない。「我、歌を善(よ)くす」である。譯は少し難しい。かう譯す。「私は上手に歌ふ」である。何處が難しいかつて、そま説明の前に次の文を書き下して譯してみよう。
我能歌
書き下し文は前のとほとんど同じである。「我、歌を能(よ)くす」でも、譯は異なる。次のやうになる。「私は歌ふ事が出來る」 「能」は「可能」で譯さなければならない。
これで少しは難しさが理解できたらう。「能」は「可能」、「善」は「可能」なだけでなく上手にできなければならない。どちらも「頻繁に歌ふ」といふ謂(いひ)ではない。
書き下し文が同じでも譯は異なる。ね、漢文て面白いでせう。次に「可能」の否定表現、以下の白文を書き下してみよう(意味は自明だから譯さなくて良い)
我不能歌
「我、歌を能(よ)くせず」殘念でした。正しくはかうです。「我、歌ふ能(あた)はず」何故、かうなるんでせうね。解説します。
「能はず」は四段活用に分類される動詞なのですが、實は未然形しか使ひません。だから「我、歌を能(あた)ふ」なんて表現ができないのです。
だから「能」は漢文では明らかに助動詞なのに、否定文のときしか「あたはず」と日本語の助動詞で譯せません。それで「能(よ)く」と不自然に書き下す訣です。
氣が向いたら「大人の爲の漢文講座」でも始めようかな。「大人の爲の數學講座」ぢやハアドルが高さうだし。
我善歌
書き下し文はそんなに難しくない。「我、歌を善(よ)くす」である。譯は少し難しい。かう譯す。「私は上手に歌ふ」である。何處が難しいかつて、そま説明の前に次の文を書き下して譯してみよう。
我能歌
書き下し文は前のとほとんど同じである。「我、歌を能(よ)くす」でも、譯は異なる。次のやうになる。「私は歌ふ事が出來る」 「能」は「可能」で譯さなければならない。
これで少しは難しさが理解できたらう。「能」は「可能」、「善」は「可能」なだけでなく上手にできなければならない。どちらも「頻繁に歌ふ」といふ謂(いひ)ではない。
書き下し文が同じでも譯は異なる。ね、漢文て面白いでせう。次に「可能」の否定表現、以下の白文を書き下してみよう(意味は自明だから譯さなくて良い)
我不能歌
「我、歌を能(よ)くせず」殘念でした。正しくはかうです。「我、歌ふ能(あた)はず」何故、かうなるんでせうね。解説します。
「能はず」は四段活用に分類される動詞なのですが、實は未然形しか使ひません。だから「我、歌を能(あた)ふ」なんて表現ができないのです。
だから「能」は漢文では明らかに助動詞なのに、否定文のときしか「あたはず」と日本語の助動詞で譯せません。それで「能(よ)く」と不自然に書き下す訣です。
氣が向いたら「大人の爲の漢文講座」でも始めようかな。「大人の爲の數學講座」ぢやハアドルが高さうだし。