基督教の正統と異端について興味を持つて、昨年くらゐから色々と調べてゐるのだが、やはり此の宗教は日本人には異質な奇妙なものだ、と思ふ。
例へば、貴方は何んな人が天國へ行くと想はれるだらう。徳高く善行を行つた人、こんな風に考へてゐるのではないだらうか。これは基督教の正統信仰からすると誤であり異端である。
基督教の正統信仰によれば人は皆、大なり小なり惡人であり、地獄へ堕ちて當然の存在にすぎない。ただ神の恩寵により基督教徒の一部は天國へ行ける事になつてゐる。全員が行けるわけではない。
自由意志で善を選擇する事により徳が高まり天國へ行けると考へるのは、ペラギウスの異端と謂ふ。此の説は聖アウグスチヌスが強く否定した異端思想である。
つまり基督教の正統信仰では、個人の努力や自由意志で天國へ昇つたり地獄へ堕ちたりはしないのである。此の考へ方は宗教改革の時にカルヴアンによつても強調された。豫定説と謂ふ。
因に基督教のゲヘナを地獄と譯すのは誤譯だと想ふ。佛教の地獄は文字通りの地下の獄舍で、永遠に地獄で苦しむといふ事はない。刑期を終へれば出る事ができるし、みな有限刑である。
基督教のゲヘナは獄舍といふよりはゴミの燒却爐である。最後の審判で神によりゴミと判決を受けた魂が、永遠に焼かれ續ける。こちらは無限刑で釋放される事はない。
それから、「煉獄」といふ概念はカソリツクのもので、基督教にとつては正統でも異端でもない。基督教の公會議で正統と定められた事も異端と排斥された事もないのだ。
だから今日でも、希臘正教系の基督教には煉獄といふ概念はない。かうした知識は、ドストエフスキイなどを讀むときは有用かも知れない。ロシヤは東方教会系の基督教圏であるから。
例へば、貴方は何んな人が天國へ行くと想はれるだらう。徳高く善行を行つた人、こんな風に考へてゐるのではないだらうか。これは基督教の正統信仰からすると誤であり異端である。
基督教の正統信仰によれば人は皆、大なり小なり惡人であり、地獄へ堕ちて當然の存在にすぎない。ただ神の恩寵により基督教徒の一部は天國へ行ける事になつてゐる。全員が行けるわけではない。
自由意志で善を選擇する事により徳が高まり天國へ行けると考へるのは、ペラギウスの異端と謂ふ。此の説は聖アウグスチヌスが強く否定した異端思想である。
つまり基督教の正統信仰では、個人の努力や自由意志で天國へ昇つたり地獄へ堕ちたりはしないのである。此の考へ方は宗教改革の時にカルヴアンによつても強調された。豫定説と謂ふ。
因に基督教のゲヘナを地獄と譯すのは誤譯だと想ふ。佛教の地獄は文字通りの地下の獄舍で、永遠に地獄で苦しむといふ事はない。刑期を終へれば出る事ができるし、みな有限刑である。
基督教のゲヘナは獄舍といふよりはゴミの燒却爐である。最後の審判で神によりゴミと判決を受けた魂が、永遠に焼かれ續ける。こちらは無限刑で釋放される事はない。
それから、「煉獄」といふ概念はカソリツクのもので、基督教にとつては正統でも異端でもない。基督教の公會議で正統と定められた事も異端と排斥された事もないのだ。
だから今日でも、希臘正教系の基督教には煉獄といふ概念はない。かうした知識は、ドストエフスキイなどを讀むときは有用かも知れない。ロシヤは東方教会系の基督教圏であるから。