十字軍の時代は、基督教文化圈よりもアラブの囘教文化圈の方が文化的だつたやうに、どの歴史の本も書いてある。厳密にいふと間違ひである。文化程度が低かつたのは今日でいふ西歐だけの話だ。


基督教文化圈には、所謂ビザンチン帝國も含まれてゐる。此の頃の正式名稱は基督教羅馬帝國である。彼らは希臘の文化をそのまま受繼ぎ、アラブよりも高い文化水準にあつた。


ルネッサンス期にはアラブから西歐に希臘哲學その他の人文科學が流入したが、これらをアラブに教へたのはビザンチン帝國なのである。希臘の文化は歐羅巴から消え去つた訣ではない。


かうした西歐のビザンチン文化無視は、やがて神聖羅馬帝國といふ僞羅馬帝國の建國へと繋がつて行く。西歐はビザンチン帝國を歴史から抹殺しようとして殆ど成功してゐる。


カソリツク教会は基督教の霸權の掌握に失敗した後、基督教羅馬帝國の抹殺を企てる。ビザンチン帝國といふ名前も、さうして作られたものである。


ただ、西歐が中世の文化的暗黒時代にあつた時も、基督教羅馬帝國は高度の文明を誇つてゐた。この國が滅びるまでは、明らかに歐羅巴の文明の中心だつた。


たていての西洋史の本は、かうした歴史を無視してゐる。それは要するにカソリツク教会の大人の事情によるものである。


そして我々は、高度な文明を誇つた國でも歴史的に抹殺する事が可能だといふ恐ろしい事實に氣がつく。歴史は勝者が作るものであり、ビザンチン帝國は消え去つた敗者なのだ。


ビザンチン帝國の歴史や文化については、希臘正教關係の本で調べるしかないのだが、これも宗教的動機で書かれた本なので、カザアル王国のやうな重要な隣國について殆ど觸れてゐない。


此の國(カザアル王国)は猶太教を信奉する遊牧民の帝國で、この國が囘教諸國の防波堤となつたため、ビザンチン帝國は存續する事ができた。


ビザンチン帝國の崩壊は、この防波堤國家が滅んだ事が原因なのだが、希臘正教關係の書物は、そもそも此の國に何の興味も抱いてゐない。


歐羅巴の眞の歴史は、かうして消えて行つた國々の歴史を調べなければ理解できないのだが、西歐人が興味を持たなかつたものには日本人の西歐史研究家達も殆ど注目してゐないのである。