日本聖書協會の文語訳聖書(ヘボン譯の大正改譯版)のマタイ傳第一四章三一は、次のやうに譯されてゐる。


イエス直ちに御手を伸べ、これを捉へて言ひ給ふ「ああ信仰うすき者よ、何ぞ疑ふか」


日本正教會の文語訳聖書(ニコライ譯)のマトフェイに因る聖福音第十四章三一では、同じ部分がかう譯されてゐる。


イイスス直ちに手を伸べて、之を援(たす)けて曰(いは)く、小信の者よ、何ぞ疑ひたる。


この「信仰うすき者」とか「小信の者」とは、どういふ意味であらう。昔讀むだ小室直樹博士の説明によると、それは「信仰の不十分な者」といふ意味なのださうだ。


皆樣は高校生の時に數學で、「必要條件と十分條件」について學んだ事があるでせう。つまり、正確には「信仰の十分條件を満たしてゐない」といふ意味ださうだ(小室直樹博士は京都大學數學科の出身)


だとすると、「信仰うすき者」とか「小信の者」といふのは、あまり良い譯ではない。意味が正しく傳はらない。


僕や小室博士のやうな數學科出身者は、「必要條件と十分條件」の扱ひについて嚴密な訓練を受けてゐる。だから此の手の譯語が、非常に氣になるのである(本能でせうかね)



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