鎌倉で古事記を讀む會といふのがあつて、毎月、『古事記』を輪讀してゐる。先月は丁度、景行天皇のところで、要するに倭健(日本武とも書く)の話だつた。
『古事記』や『日本書紀』には、「タケ」や「タケル」といふ名前が矢鱈と出て來る。熊襲尊(クマソタケル)とか。武甕槌(タケミカヅチ)なんかは、最近は動畫でも能く出て來る名前である(「空の音」や「神樣ドオルズ」など)
この「タケ」と「タケル」は、使ひ分けの法則があるのださうだ。大和朝廷側の武人は「タケ」、まつろはぬ側の武人は「タケル」と呼ぶ。
もう氣づかれたと想ふが、だから倭健(日本武)は、「ヤマト・タケ」と讀むのが正しいらしいのだ。もつとも岩波の『古事記』には、ふつうに「ヤマト・タケル」と振り假名が振られてゐたが。
岩波版の『古事記』は、「高天原」も「たかまのはら」と振假名を振つてゐた。僕が子供の頃は「たかまがはら」と讀むのが一般的だつたので違和感を覺える。
「猫神八百萬」といふ動畫では「たかまがはら」と呼ばれてゐたので、少し嬉しかつた。かうした多神教の世界觀で作られた動畫が世界に發信されて行くのは、もつと嬉しい。
それから、『古事記』は現代人が讀むでも少しも難しくない。千年以上前に書かれた文章が今日でも通ずるのは奇蹟である。江戸時代の思想書を讀むよりは簡單である。
英語だとかうはいかない。古代英語は、むしろドイツ語に近い(らしい)。だから英語の古典の研究は、一時期はドイツで盛だつた。
現代の日本人が『古事記』を讀むのは、イギリス人が百年前の英語の古典を讀むより簡單である。今月の古事記を讀む會はニ十四日だから、近くに住む人は出席されてはいかがだらう。
『古事記』や『日本書紀』には、「タケ」や「タケル」といふ名前が矢鱈と出て來る。熊襲尊(クマソタケル)とか。武甕槌(タケミカヅチ)なんかは、最近は動畫でも能く出て來る名前である(「空の音」や「神樣ドオルズ」など)
この「タケ」と「タケル」は、使ひ分けの法則があるのださうだ。大和朝廷側の武人は「タケ」、まつろはぬ側の武人は「タケル」と呼ぶ。
もう氣づかれたと想ふが、だから倭健(日本武)は、「ヤマト・タケ」と讀むのが正しいらしいのだ。もつとも岩波の『古事記』には、ふつうに「ヤマト・タケル」と振り假名が振られてゐたが。
岩波版の『古事記』は、「高天原」も「たかまのはら」と振假名を振つてゐた。僕が子供の頃は「たかまがはら」と讀むのが一般的だつたので違和感を覺える。
「猫神八百萬」といふ動畫では「たかまがはら」と呼ばれてゐたので、少し嬉しかつた。かうした多神教の世界觀で作られた動畫が世界に發信されて行くのは、もつと嬉しい。
それから、『古事記』は現代人が讀むでも少しも難しくない。千年以上前に書かれた文章が今日でも通ずるのは奇蹟である。江戸時代の思想書を讀むよりは簡單である。
英語だとかうはいかない。古代英語は、むしろドイツ語に近い(らしい)。だから英語の古典の研究は、一時期はドイツで盛だつた。
現代の日本人が『古事記』を讀むのは、イギリス人が百年前の英語の古典を讀むより簡單である。今月の古事記を讀む會はニ十四日だから、近くに住む人は出席されてはいかがだらう。