儒教や儒學は、支那の古代社會が崩壊したあとに成立した思想である。支那の古代社會については、何度か触れた事がある。ある意味、日本とよく似た社會である。


周王朝の前の商(殷)王朝は、帝と呼ばれる人格神の血をひく特別な一族しか王になれなかつた。また、周王朝の初期までは、宗教祭祀と行政、軍事が分離されてゐたと想はれる。


周王朝は途中から、權威と權力、宗教と行政を一體化した政治體制に移行した。恐らくは帝国内に異民族を抱へこむだ爲に、中央集權を強化して管理する必要にせまられたのだらう。


孔子の理想とした政治體制も、支那を亂世から救ふ爲の、權威と權力を一體化した強力な政府だつた。商のやうな神聖國家でも、周の初期のやうな權威と權力と軍事が分離した國家でもない。


だとしたら、孔子や儒者が口にした「先王の道」とは、何だつたのだらう。孔子がそのやうな、緩やかな宗教共同體を目指してゐたとは、だれも想ふまい。


「先王の道」とは、周王朝の權威と權力と軍事が一體化した後の政治常識を古代に投影したものなのである。要するに孔子や儒者は先王の道を理解してゐない。


それは、先秦の儒者、宋學以降の儒者を問はず共通の特徴である。彼等は古代の政治を理想としながらも、古代の政治や社會のしくみなど理解してゐなかつたのである。