広辞苑を例に取り、前回は最近の辞書に一般的な不合理な筆順と、それが発生した経緯について述べた。今回は、不合理な筆順を放置する事が何をもたらすか、である。


「右」「左」「ナ」の部分の筆順が異なるのは、「ナ」の部分が同じ象形である事を考へると充分に不合理なのだが、筆順が異なればそもそも、それを同じ象形とは想はない人が出て来る。


「ナ」は手の象形で、「工」を持つ手が「左」「口(サイと読み、祝詞を入れた箱)」を持つ手が「右」なわけである。


例へば、私は「必」といふ字を「心」を書いてから「ノ」を上書きして書くが、辞書に載つてゐる一般的な筆順はこれとは異なる。上手く言へないが、何とも不合理な筆順である。


このやうな不合理な筆順「必」といふ字を書いてゐると、「必」が「心」と同系統の言葉だといふ事に気づかないのではないか?


当用漢字正字の替りに大幅に略字を採用したので、漢字の意味的な繋がりは既にズタズタに破壊されてゐるのだが、これに不合理な筆順が拍車を掛ける


漢字は画数が多くても、漢字同士の意味の繋がりで覚えれば苦労せずに覚えられる。それを無理やり画数を減らしたり筆順を変へるから、わけのわからない記号の集まりになつてしまふ。


ただし何度も言ふが、筆順に関しては文部省のした事ではない。一役人が私的にした事だから、辞書を編纂する出版社は不合理な筆順を無視してまともな筆順の辞書をつくれば良かつたのである。


このため今日の日本の漢字の筆順は、過去の日本の筆順だけでなくグローバルスタンダードからも外れてゐる


半世紀近くもこんな不合理な筆順を放置した辞書の出版社の見識の無さは、国民文化に対する犯罪行為ではないのか?