また漢字の音読みの話である。今回は、音読みは正仮名遣(所謂旧かなの事、歴史的仮名遣とも言う)ではなく現代仮名遣で表記する。皆様は、一つの漢字に幾つもの読み方がある事は御存知だろう。
漢字に音(中国語の発音を真似たもの)と訓(日本語の訳)の二種類の読み方があるのは仕方が無いと諦めるとして、音読みが沢山あるのは何故だろう。
一番古い音読みを呉音という。三国志の呉から伝わった音読みで、古い言葉や仏教用語はたいていこれである。「馬」を「め」と読み、「牛」を「ご」と読む。こんな感じ。
次に、中国でもう呉音が使われていない事に気づいて慌てて取り入れた音読みが漢音である。普通、漢文の音読みは漢音で発音する事になっている。「馬」を「ば」と読み、「牛」を「ぎゅう」と読む。
漢音もいつの間にか中国では使わなくなったので、導入されたのが唐音、宋音などである。まとめて唐宋音と言ったりする。「馬」は「ま」と読む。
わかりやすく言うと、中国では王朝が替わるたび、皇帝が自分の田舎の方言を標準の発音とするので、そのたびに日本は漢字の発音を真似して音読みの方式を増やして行った。
正直言って、呉音かせいぜい漢音で発音の物まねを止めておけば良かったのである。それなのに現在でも、漢字に今日の現地音読みの振仮名を振る人たちがいる。
北京を「ベイジン」としたり、「平壌」を「ぴょんやん」としたり。「ほっけい」や「へいじょう」でいいじゃないか。因に、「ぺきん」は唐宋音だったと想う。
断言するが、数百年後の中国の漢字の発音は、また違うものになっている。もう北京を「べいじん」とは発音しなくなっている。
我々はもう、漢字を現地の音で読むのは止めよう。また別方式の音読みが増えるだけで、日本人の言語生活が豊かになるわけではない。
漢字に音(中国語の発音を真似たもの)と訓(日本語の訳)の二種類の読み方があるのは仕方が無いと諦めるとして、音読みが沢山あるのは何故だろう。
一番古い音読みを呉音という。三国志の呉から伝わった音読みで、古い言葉や仏教用語はたいていこれである。「馬」を「め」と読み、「牛」を「ご」と読む。こんな感じ。
次に、中国でもう呉音が使われていない事に気づいて慌てて取り入れた音読みが漢音である。普通、漢文の音読みは漢音で発音する事になっている。「馬」を「ば」と読み、「牛」を「ぎゅう」と読む。
漢音もいつの間にか中国では使わなくなったので、導入されたのが唐音、宋音などである。まとめて唐宋音と言ったりする。「馬」は「ま」と読む。
わかりやすく言うと、中国では王朝が替わるたび、皇帝が自分の田舎の方言を標準の発音とするので、そのたびに日本は漢字の発音を真似して音読みの方式を増やして行った。
正直言って、呉音かせいぜい漢音で発音の物まねを止めておけば良かったのである。それなのに現在でも、漢字に今日の現地音読みの振仮名を振る人たちがいる。
北京を「ベイジン」としたり、「平壌」を「ぴょんやん」としたり。「ほっけい」や「へいじょう」でいいじゃないか。因に、「ぺきん」は唐宋音だったと想う。
断言するが、数百年後の中国の漢字の発音は、また違うものになっている。もう北京を「べいじん」とは発音しなくなっている。
我々はもう、漢字を現地の音で読むのは止めよう。また別方式の音読みが増えるだけで、日本人の言語生活が豊かになるわけではない。
