新聞記事には、時々というよりかなり頻繁に、意味不明の記事が掲載される。今回は情報処理というより情報操作の話である。例えば昔、原発建設反対運動が盛んな頃、次のような記事を読んだ。


原発のあるイタリアの××××島で、また奇形児が生まれました。


この記事って何が言いたいんだと想いますか?そうですね、「原発の影響で奇形児が生まれた」と言いきってしまうと、根拠と責任が問われる事になる。原発の無い処でも、奇形児は生まれるのだから。


「原発の影響で奇形児が生まれた」と言いたければ、原発のある処での奇形児の発生率を原発の無い処での奇形児の発生率とくらべて、その差が統計学的に意味のある大きさである、と言わなければならない。


もちろん、新聞記事は「原発反対」と言いたいのである。そのために「原発を作ると奇形児が発生する」という印象を読者に与えたいのだ。しかしそこまでは言わない。言わなくても読者は勝手に勘違いしてくれる。


誤解しないで欲しいのだが、私は原発の影響が無い、と言っているわけではない。その種の事を言うための調査をしたわけではないから、或いは影響があるのかも知れない。それは専門家が統計データをもとに判断すべき事だ。


新聞社の戦略は明快である。影響がある、という事になれば、そういう問題意識で記事を作りました、と言う。影響がない、という事になれば、記事では影響があるとまでは言っていない、と言い訳する。


原発だけではない。某新聞記者はベトナムで奇形児の写真を撮りまくった。こちらはアメリカの枯れ葉剤散布を問題にするためである。こちらも意味のある統計数字は公表されていない。


普通の読者は子供の奇形の写真を見て、アメリカは酷い事をするな、という印象を抱く。記者としてはそれで十分なのだ。私のように奇形児の発生率を問題視する読者は想定されていない。


しつこいが、私はアメリカの枯れ葉剤散布が悪影響を与えなかった、と言いたいわけではない。言いたくても、そう主張するのに必要な統計データを私は持っていない。公表されていないのだ。


このように、新聞記事は明言を避けて印象記事を書く。明言してリスクを負う事はない。勝手に誤解したのは読者であって、記事に間違いは書いていない(奇形児は本当に生まれたのだろう


それでなくても日本語は曖昧な表現が可能な言語だ。印象操作なぞ雑作も無い。「嘘じゃないけど、それって意味があるの。いったい何が言いたいの」そう問いかける事が騙されないコツである。


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