医療の地域格差が止まらない | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

ABEMA TVで何気に見ていたら、

 

ドクターカー

 

 

という便利で親切なサービスがあることを知りました。

 

救命救急士では出来ない処置を行うため

 

医師が現場に駆けつけて処置するというものです。

 

 

何の為の救命救急士という資格なんでしょうか?

 

 

ドラマではドクターヘリなどを使って災害現場に駆け付けたり

 

魅力ある医師の活躍に感動して魅入ってしまいますが

 

それは都会での出来事であって

 

地方、僻地部ではまずあり得ません。

 

 

 

ドクターコトーほどではありませんが

 

新潟県沖に浮かぶ島、粟島や山形県の飛島など

 

医院経営が成り立たない場所には病院やMRI設備などすらも存在せず

 

やはり、医療というのは経営力、人口密度の高いところほど

 

サービスの拡充と医師の確保が可能であることが分かります。

 

 

都会の人々にとって、最頻値的答えは「素晴らしい」「もっと」などと答えるでしょう。

 

 

しかしその最頻値の声から外れた田舎の地方では、

 

医師不足、が故に病院の産科・小児科すらも消失し、かろうじて自治医科大のように

 

地域の人たちが協力して奨学金を出し合って、若者に資格を取得させ、

 

5年縛りによって地元に医療協力をして頂くようなシステムによって

 

僻地医療が成り立っているところでは、高度な医療などは土台到底無理な話です。

 

自然放置なら、極論、国立と県立の大学病院以外に集約されて

 

個人医院は歯科院と老人介護施設併設の病院とかろうじての整形外科医院が

 

老人対応によって残るのみになるでしょう。

 

 

それでもまだ、あるだけマシというレベルで、

 

人口減少する中で、この問題はどこもかしこも体力のない自治体と地方では

 

益々深刻になっていくでしょう。

 

 

 

ドクターヘリや、ドクターカーで送れるような医師の人員がいるのなら

 

まずはそんな贅沢な救命救急システムは取り止めて、その人員を地方に回して欲しいものです。

 

 

結局、都会では生きられて、田舎では生きられないという医療では

 

同じように健康保険料という納税を支払っているのにも関わらず

 

医療サービスが不足して

 

どうしても不公平感が拭えません。

 

 

 

命は平等なはずなのに、暮らす地域で受診可否の不公平が生じている問題は

 

誰もが・・・気にもしないような事なのでしょうか?

 

私には物凄く違和感を感じます。

 

 

 

コードブルーとかドクターカーとかの番組は止めて欲しいです。

 

 

単にやってます感を見せびらかしているだけです。

 

 

医師の当事者たちはそうは思わないでしょう。

 

こんなに頑張っているんだ。

 

眠る時間を削って命に向き合っているんだ。

 

炎の灯を消さないために最善を尽くしているんだ

 

という視野の狭い言葉が返ってくるでしょう。

 

 

医師は集まって医師会を作っているんだから、

 

学術のみならず、国民医療の在り方

 

地域医療の格差問題

 

なども検討すべきではないのでしょうか?

 

 

確かに最先端医療は必要でしょう。

 

その為にお金がかかることも分かります。

 

そして誰しもが最先端医療を学びたくて希望集中してしまうのも分かります。

 

その配分が重要だという事です。

 

 

 

末端地域医療の公平化、人口に対する比率で、国や県などから補助金を出して

 

総合病院や専門病院の開設を許可制にして、公平最適化する事

 

東北地域や関東地域、中部、関西、九州地域などに

 

超高度医療の拠点を置き、情報を共有フィードバックできるシステム

 

または患者の病状進行レベルと稀少性、本人と家族の希望によって

 

遠隔地転移による高度医療の実現など

 

個人が儲けられる集客システムだけでなく、

 

底辺の医療水準の底上げが同時進行的に必要に思います。

 

 

この考えは、一種の共産主義的、もしくは社会主義的思想かもしれません。

 

民主主義で資本主義なら、この現状も致し方なく、受け入れねばならないのかもしれません。

 

しかし、このままなら、都会の人たちが医療レベルの高い治療を受け長生きし

 

田舎は高齢者だからと諭され、医療資源不足のための医療処置を放棄されて寿命が縮むように

 

助けられる命も助けられない状況が拡大していくように思うのです。

 

儲けるためには人口と開院数の割合でリサーチしてから新規開業するのは、

 

当然と言えば当然でしょう。

 

 

村で基礎検診をしたとて、個人医院にかかるには30Km先まで行かなければなりません。

 

75歳がスーパーカブで行って帰ってくるだけも大変ですし、雪道ならアウトです。

 

具合が悪くなったら救急車しかありません。

 

入院しても、独居老人と分っていながら骨折後2週間で退院させられます。

 

懇願しても長く入院などさせてくれません。

 

 

にも関わらず、テレビ番組では単なる自動車の自爆事故で打撲と分っているにも関わらず、

 

余計なお世話で頼んでもいないのに、胸部・頭部CT検査と数日の入院が出来るとは?

 

いやはや、ベットが開いているから泊って行ってよ

 

と患者は強制されて、病院の儲けの道具にされています。

 

私には、その行為を医療の押し売りにしか見えません。

 

今のバイアスのかかった目にはそう映ります。

 

 

最小限の医療提供で良いから、全国の人たちが

 

都会と同様に医療を受けられる機会を設けて欲しいものだと切に願い

 

私の愚痴を終わります。

 

 

 

本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。