中学からずっと日ペン表だった私。
でも入会してから約2年、どうも右人差し指の付け根が腫れる。
包丁を握っても痛いし、仕事だって字を書くには不便。
まだ大した成績も上げられていなかったので、思い切ってシェーク
にすることに。
この決断は2008年5月のGW頃でした。
最初に使った用具は
ラケット ニッタク レッドシャンクFL
ラバー TSP スピンピップス(表) フォア
ニッタク 閃霊(表・中国ラバー) バック
でした。
5月・6月
なかなかラリーが出来ず、基礎練習中心でした。
7月
地域の団体戦があり、男子2組出場。
しかし、Bチームの方で欠員が出そうということで、私に男子と
混じって試合に出てくれと依頼が来ました。
まだラケット変えてから数ヶ月。
やっとラリーらしいことが出来るようになってきた。
初心者となんらかわりがないのに・・・
結局予定していた男子は出られず、私が出場。
粒高くんにあえなく0-3負け。
でもカウントは-7・-7・-6 。
Bチームも1-3で負けなので、あんまり気にせず(笑)
7月中には毎年恒例の合宿がありました。
市体育館で2日間。
合宿中にバック強化・フットワーク・回りこみ練習を多めにしま
した。
実戦も経験したので、自分に足りないところなどが見え始めた
ためです。
でも、女の子1人の合宿だったので宿泊はさすがにしませんで
した。
8月・10月
ともに市民戦に出場
8月は1勝をあげましたが、2回戦でおばさんに0-3で屈する。
10月は1-3負け。
11月
フォア面をスレイバーに変更する。
裏ラバーデビューしました。
そしてこの頃からダブルス練習に力を入れ始めました。
この年に入会した女の子が就職の為県外にいくことになりま
した。
その最後の試合にと選んだのが12月の団体戦。
この頃スレイバーEL厚に変更。
我がチームにとって久しぶりの団体戦出場。
私はダブルスと5番手で出ることに。
格上チームとあたりました。
まぁどことあたっても1回戦で負けるであろうことは知ってまし
た。
でも、このメンバーで出場するのは本当に最後だったので、
結構みんな頑張りました。
結果は0-5負け。
敗者トーナメントも0-3負けでしたが、我がダブルスは格上オ
バサンペアに2-3まで行きました。
最後も10-10まで持っていき『行けるか!』って思ったところで
The End
でも、約2ヶ月週2練習しか出来なかったけれど頑張った成果
がでて、1月の新潟オープンダブルスに出場することになりました。
1時間半ほどupして会場入り。
試合は11時からでした。
1回戦 ペン表・裏裏おばさんペア
前半はバックサーブが効果的に決まり1セット取る。
その後は私の両サイドを狙われ結局1-3負け。
このペアは3位入賞でした。
ボロボロの試合展開を予想していましたが、身体も動いたし集中
も出来た。
サーブが段々フォア側に流れていってドライブでやられる展開が
多かったのが敗因でしょう。
その後、道具変更しました。
ラケット ニッタク ルデアック
ラバー バタフライ スレイバーEL圧
TSP Sスピンピップス シルバー 中
2月3月は通常練習してました。