岡本さんは、初代社長である。
大手電器会社の子会社として地方に研究所を開設した。
背景は四全総という謳い文句があったころ、新しい風を呼び込もうとした気概があった。
最初に集めた3人のうち残ったのは一人、加わったわたしが定年まで務めたので
おかPを語るのにはふさわしい立場となる。
お酒は飲まないが、ゴルフは好き。タバコの吸い方がめちゃくちゃなので
65歳
で亡くなった。同じことをしていればわたしもあと一年ということになる。
決め台詞は
FMチューナーなら一から作れる
であった。
この言葉、後から集まった電子工学科の学生には刺さらない。
初歩のラジオ、ラジオの制作で育ったわたくしの世代でも
部品が集まらないだろう
というもの。
さて、DSPというものが流行り出して
周波数弁別器(バンドパスフィルター)
がプログラムできるようになり、当時人気の雑誌で
FMラジオ
を作る懸賞があったくらい、意味は深い。
そのFMチューナーの受信感度を高めるために渡米し、その後
シリコンバレーの所長
を務めたおかPであった。
前の会社もそうだったが、ひとかどの人というのは
なになにで渡米した
というものらしい。
別編になるが津田塾の令子さんもそうだ。
今は出張となると
中国、ベトナム
これが、ひとかどの人になる条件になるのには、まだまだかかりそうだ。