同僚のCNAであるMKが婚約した。

MKといえば同棲中のBFとの間に女の子を授かり8月に出産して11月に復帰してきた。
順序はどうあれハッピーなことだ。

FBの彼女の笑顔。(ドヤ顔←なぜかこの表現は好きになれない)

面白いことにプライベートなイベントである大抵のプロポーズの現場には女性にひざまずく男性の証拠写真がある。

誰が撮っているのか??


プロポーズは大抵サプライズであり家族なり友達なりが事前に協力を依頼され、知らないのはプロポーズされる側。その写真はすごーーい遠巻きで撮られてたりする。

アメリカはこういうところが素敵だと思う。
表現力がスバラシイともいう。

MKは苦手なタイプだったが一人の女の子から母親になっていく過程を見るのはなかなか感慨深いものがある。うるさいのは相変わらずだが優しさがにじみ出てきた感がある。


なぜ苦手なのか?



MKは自己主張が上手だ。
これはアメリカで教育を受けた人全般に言えるが小さいころから自己主張をするように育てられている。

私自身は例にもれず典型的な日本的教育を受けた人間で自己否定感が強く、表現が苦手だ。これには非常にストレスを感じる。自己表現のうまい人を見ると自分の表現力、英語力のなさを否定されている気分になり恐怖にさえ駆られるから苦手に感じるのだと思う。
MKと私の関係は今のところ興味深い。。Love & Hate.



ESLにいたころ私の最初にして最大の英語の先生、Dr.Pは私のそういうところを見抜いていた。授業中に意見を求められて日本的に悲観的なことをいうと強くいさめられたものだ。

悲観=悪 

この国ではなにかネガティブなことを公的に言うとすごい勢いで反論される。
あくまでもパブリックの場では悲観的なことを言ってはいけない、ということらしい。
まるで犯罪者扱いだ。(とほほ)

前向きに!ポジティブに!明るく笑顔で!!
私が私が、私を見て!

はい、おなかいっぱいです。

まさに善意の押し売り状態で強度のストレスだ。

ブライトなサイドから見ると対人関係においてはよいコミュニケーションツールとなる。
技術、表現力の一種なのだ。

裏を返せば不安だらけで見かけだけはポジティブにしておかないと支えきれないのか?
自己表現をすることで攻撃されるのを防ぐためか?
すごい負の産物。

私自身いくら悲観的なことを言っていても現実はそんなに悲惨ではないことのほうが多い気がする。自己主張という鎧を装備してないので通常運転ではヨレヨレではあるが。



とにかく自己表現が苦手だ、というよりストレスだ。
自己否定感の強さから来るものだと思う。
対人関係においてはそこそこポジティブに接する技術は身に着いたが積極的に「自己を表現する」ところまでは至ってないと思う。勝とう、とは思わないがアメリカ人並みに自己表現をパフォーマンスするのは無理があると思うし第一私らしくない。(日本人でもこの技術を持っている人がたまにいる、という事実)




リフレクション: 自己主張しなさい。




YMに言われたことに対しては反論の意思を表した。
間接的にだが。

これに関してはあのあとまたいろいろあってさらに自己表現に関する嫌悪感を強めた。



もくもくと仕事をする。
これが私の自己表現だ。
わかりにくいがしょうがない。
今日明日で変わることではない。


ここから抜け出す術を知っている。


「気にしない」。



私がここで身に着けるべき技術、身に着けるべき装備。
そうしているうちに自己表現力が少しでもつけば万々歳だ。


気にしない、という技術は意外と難しい。
自分の仕事にフォーカスする、という方法でいいのか。
これが一番ストレスが少なく自分に合っている。

人に対して心地よく、最低限不快にさせなければそれでいいしそれ以上「自己」を出さなくてもいい。


それでも、「悪」扱いされるんだろうな。



呪いの言葉: Speak up yourself!