「国」というものを上手く説明してくださっていて、理解、納得が出来る内容だったので全文引用。
ゲットーという異民族地域
ゲットーという異民族地域
欧州は何故歴史を振り返ってみないのだろうか?マサダの戦いによってイスラエルという国家は消滅の憂き目に合う。そして多くの移民がローマに、欧州に流れて行った。
ユダヤ人たちは、旧約聖書とト―ラー言う国を持っていた。神の国は我が内の中にあるという考えである。
国とは価値観の元になる宗教や文化や、何もかもを包括している。国とはその価値観を共有したものたちにとっては、自由でいられる場所なのである。
欧州の国では、ユダヤ人地域であるゲットーを作ったりした。ユダヤ人はその中では、ユダヤ教を全うする事が出来たし、自由でいられた。外は不自由な世界であり、差別されたり区別されたりしただろう。各国の法はユダヤ人たちを助けてはくれなかったけれど、ゲットーの中ではユダヤ教の法律を持って救われる事もあったであろう。
事例として、お隣韓国ちゃんが異様に見えるのは、国の中でなら自由である「反日」という国の中で自由であるべき価値観を、外に持ち出した事による混乱であると言える。
韓国内でなら、反日である事が普通なのでありその価値観いいし、反日という自由が彼らの中にあっても問題ではないのである。
或いは、インドの長老社会や、イスラムの婚姻制度なども、傍から見れば受け入れがたいものがある。しかしながら、その国にとってはそれは共通の価値観であり、法であり、自由なのである。それこそが国というものなのである。
その中で何かを変えて行くのも、またその国の自由でもある。
国というのは、他の国からその価値観を同じにしないもの達が自国で自由でいられるための砦なのである。
「俺たちの旗の下に俺は自由に生きる」キャプテンハーロックの言葉であるけれど、これこそが国なのである。
自由というのは、本当の事を言えば制限がある。その国の規律の中で自由なのであって無制限に好き勝手とは違うのである。
例えば親のいう事を聞かない子供は自由なのか?と言えばそれは違う。
自由でいるための本質を親は教えなくてはいけないのである。その国で平穏に暮らすための基礎知識である。
普通に、人を殺すという自由はないし、人の物を盗むという自由もない。他人を困らせる自由もないのが常である。
それは同じ価値観を持つものの共同体としての共通認識である。
その共同体でやっていけないなら、自分にあう共同体へどうぞという訳にも中々行かないのが常ではあるけれど、他所から来たものはその自由を行使するために、もと居た場所へ帰る自由はあるであろうと思う。
「郷に入っては郷に従え」というのは、客人としてその土地の規則に従う事が円満に過ごす方便だと昔の人は良い事を言っている。
多少、不便な事はあっても一番自由でいられるのが国ではないだろうかと思う。
国境はそれぞれの国が、それぞれの国が色々な経緯を経て作り上げて来た。
少しでも自由でいられる場所があればであろう。
難民というのは、政治的、宗教的に抹殺されかねない状況の時助ける、相互扶助的なものであろうかと思う。だけど、そこには制約があるという事も忘れてはならない気はする。
色んな事があっても、自由でいられる国にいるのか、制限されようとも不自由であろうとその中で生きるかは、その人次第だろうけれど、ドイツは難民の方々にどんな自由を与える事が出来るだろうか?国民を大事に出来ない国に他国人を大事にする事など不可能だろう。