◎編集後記:憲法第9条こそ憲法違反じゃないの?(『NEWSを疑え!』2015年6月8日号)

 4日に開かれた衆議院憲法審査会の参考人質疑でハプニングがありました。出席した3人の憲法学者のうち、なんと与党推薦の参考人が、野党側の参考人と一緒に「安保法制は憲法違反」と明言してしまったのです。まずは、そのニュースから。

衆院審査会:「安保法制は憲法違反」参考人全員が批判
「衆院憲法審査会は4日、与野党が推薦した憲法学者3人を招いて参考人質疑を行った。この日は立憲主義などをテーマに議論する予定だったが、民主党の中川正春元文部科学相が、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について質問したのに対し、全員が『憲法9条違反』と明言した。政府・与党は今国会で、関連法案の必要性を丁寧に説明して国民の理解を得ようとしているが、専門家から批判的な見解が示されたことで、今後の審議への影響を懸念する声も出ている。

 ◇「解釈、整合性確保」官房長官
 参考人は、自民党、公明党、次世代の党推薦の長谷部恭男氏、民主党推薦の小林節氏、維新の党推薦の笹田栄司氏。自民党の委員に続いて質問に立った中川氏は『先生方が裁判官なら安保法制をどう判断するか』と各氏の見解を聞いた。
 長谷部氏は集団的自衛権の行使容認について『憲法違反だ。従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす』と指摘。『外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い』と述べた。
 小林氏も『憲法9条は海外で軍事活動する法的資格を与えていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは憲法違反だ』と批判した。政府が集団的自衛権の行使例として想定するホルムズ海峡での機雷掃海や、朝鮮半島争乱の場合に日本人を輸送する米艦船への援護も『個別的自衛権で説明がつく』との見解を示した。
 笹田氏は従来の安保法制を『内閣法制局と自民党が(憲法との整合性を)ガラス細工のようにぎりぎりで保ってきた。しかし今回、踏み越えてしまった』と述べた。
 これに対し、安保法制に関する与党協議会で公明党の責任者だった北側一雄副代表は『9条でどこまで自衛の措置が許されるか、(憲法解釈を変更した)昨年7月の閣議決定に至るまで突き詰めて議論した』と反論。憲法上許される自衛の措置には集団的自衛権も一部含まれるという見解を示して、違憲ではないと強調した。
 これに関連し、菅義偉官房長官は4日の記者会見で『憲法解釈として法的安定性や論理的整合性が確保されている』としたうえで、『まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる』と述べた。
 しかし、3人の参考人がそろって安保法制を批判したことに、自民党国対幹部は『自分たちが呼んだ参考人が違憲と言ったのだから、今後の審議に影響はある』と認めた。一方、民主党の長妻昭代表代行は会見で『本日の憲法審査会での議論を踏まえて質疑する』と述べ、5日に再開する衆院平和安全法制特別委員会で政府を追及する考えを示した」(6月4日付け毎日新聞)

 このニュースを眺めていて、むくむくと疑問が頭をもたげてきました。
 確かに、長谷部氏が言うように「従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかない」「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」といった点は、その通りだと肯定することもできます。それに対する政府・与党側の反論は「苦しいなぁ」という印象でさえあります。
 しかし、日本国憲法をめぐって「憲法違反」ということを指摘するのであれば、もっと大本(おおもと)から斬り込まなければならない問題があるはずです。その問題に触れたことは、これまでの日本の憲法議論では皆無だったと言ってよいかも知れません。
 憲法第9条こそ、憲法違反だと思いませんか?少なくとも、憲法第9条が違憲状態に置かれてきたことは、真正面から議論されてよいのではないかと思います。
 その理由は明らかです。日本国憲法を貫いている「前文の精神」と大きく矛盾する面を残しているからです。
 日本国憲法の前文は、最後の部分で、次のように謳っています。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
 かみ砕いて言うなら、これは「日本国は、世界の平和を実現するために行動することを誓う」と、誇り高く宣言していることにほかなりません。
 それにもかかわらず、憲法第9条は次のような具体性に欠ける文言の羅列のまま放置されてきました。
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
「国権の発動たる戦争と武力の行使」を「国際紛争を解決する手段として」は行わないということを「放棄」というのであれば、「侵略的な戦争を行わない」という意味に解釈することができない訳ではありません。
 しかし、国際法に違反した侵略国家に対する国連安保理決議に基づく集団安全保障措置まで「戦争」であり「武力の行使」だと決めつける大きな誤解と錯覚を生み出している点は、憲法前文の精神と矛盾しているという角度から、整理する必要があります。
 そこで問われるのは、世界の平和を実現するために行動するとは、いかなる姿形と能力を持ってするのか、そして、それは自国の安全を図るための防衛力との関係において、具体的にどのようなものになるのか、という点です。
 私は、憲法改正の議論で延々と時間が空費されることを、「日本国の国際平和に対する責任の放棄」だと考えています。
 そこにおいては、憲法を正面から改正する方向で議論を進めつつも、今すぐにでも安全保障基本法のような法律を制定し、現在の憲法第9条の条文について、憲法前文の精神に照らした規定をすべきだと思います。
 国家的な戦力投射能力を持たないこと、つまり現在の自衛隊のような構造をもつ軍事組織の保持をして、侵略戦争をしないと明記することは可能なはずです。そうなれば、国連平和維持活動(PKO)などの国際平和協力活動や有志連合への参加についても、なんら憲法違反の問題は生じないし、周辺諸国の懸念も生じにくいと思います。
 そういった取り組みをしないまま、戦力の不保持が語られていることは、ときの与野党の力関係においていかようにでも解釈が変更され、世界平和に対する国際公約を果たせないばかりか、国民は安心して暮らすことができない状態に置かれかねません。これを違憲状態と言わずして、なんと言うのでしょうか。
 その時々で「自衛のための戦力を持つ場合は憲法の改正を要する」(保安隊創設時、吉田茂首相)と言ったり、「日本には自衛権がある。だから自衛のための武力行使は憲法違反ではない。ししたがって自衛隊は憲法違反ではない」(鳩山一郎内閣当時の憲法解釈の論理)と変化する、つまり異なる解釈が生まれるのを許す形にしておけば、憲法前文の精神に違反するだけでなく、国際的な信頼を失う可能性さえあることを忘れてはなりません。
 集団的自衛権の行使について、元内閣法制局長官などから「憲法を改正するのが筋」との見解が示されていますが、世界平和を実現し、自国の安全を確かなものにするための順番から言うと、時間がかかるのを知りながら憲法改正を振りかざすのは反対論に等しいと思います。
 鳩山内閣当時の憲法解釈変更に比べても、安倍内閣による憲法解釈の変更は大幅なものではありません。むしろ、自国の安全を武装中立ではなく、同盟関係によって実現する選択をした以上、その前提条件となる集団的自衛権の行使を容認して、同盟関係が日本の安全のためにフルに機能するように正常化すること、そこに主眼が置かれただけだということさえできるからです。
 憲法改正は当然のことですが、改正論者はまず、憲法第9条こそ違憲であり、違憲状態に置かれてきたことを明確にしてから、改正への歩みを進めるべきではないかと思うのです。
 その意味で、憲法審査会における参考人の意見は、末節とまでは言わないまでも、重箱の隅を突くような旧態依然たる枝葉の議論の印象が強いと言わざるを得ません。いかに安保法制についての判断を求められた場面での見解だったと言っても、その問題は残るのではないかと思います。
                      (小川和久)