「井上政典」という人のブログから「台湾」の「李登輝総統」の発言部分を引用させていただきました。

「元日本人」としての思いがヒシヒシと伝わってくる発言だと思います。

同じ環境におかれていた「韓国」と「台湾」。
なぜ、このような違いが出てくるのかを、「歴史の流れ」から探ってみる必要があるのではないでしょうか?

元記事は、
李登輝閣下が訪日されていることをどうしてもっと報道しないのか?
となります。


李登輝閣下のスピーチ 平成27年4月13日 淡水李登輝事務所にて

前略

  私が見て悲しいと思ったことは、東北のあの大地震、民主党の菅総理が何をやったかというと、あれを見ていたらハラハラしてしょうがないですよ。

 台湾でも921大地震、1999年9月21日に大地震がありました。私は朝から晩まで村から村までひとつずつ訪れて人民は今何が欲しいか、人民がどんな困難にぶつかっているかをいちいち聞いて即座に解決してあげなければならない。当時どんなことをしたのかは私が書いた救済日記があります。一か月どういうようにやってきたのかを記している。

 なぜこういうことができたかというのはみなさんの前でこういうことを言うのはおかしいけどね、私はかつて幹部候補生、そして千葉の稲毛の高射砲学校におりました時、3月10日の大空襲にぶつかったんですよ。高射砲部隊にいた時、東京千葉一晩にして十何万人の犠牲者が出てきたあの大空襲の時、私は稲毛におったんですよ。その翌朝私の小隊長までが爆弾で殺されたぐらいの状態であっても翌朝はね、救援開始。
 
 千葉から東京まで救済して回ったんだ。あんたがたその時はおそらく生まれていなかった頃だと思いますが、まあそのような経験があります。ああいう危険な状態にぶつかりそして人民が困っていると思い直接千葉から東京まで救済始めました。

 もういろんな救いをやってね、そういう経験があったそれが私が総統になった1999年の台湾の921の大地震、どうすべきかというのはその時の経験でちゃんとわかっている。どうすべきか人民第一ですよ。

 私ね、このことで言いたいこといっぱいあるけどね、私のあの時に作られた救援隊、救助の団体が一万二千名おります。それを今回の地震で送ろうとしたらね、日本の外務省は断ってきた。日本は台湾の救援隊を受け入れる余裕がないとかいってね、72時間で、災害が起こってから72時間で救済しなければあの人たちの命助けられないですよ。

 あの金曜日のお昼の二時か三時ごろ地震でしょう?土曜日一所懸命に何とかして日本に人員を、その救助隊も実は921事件の時に日本財団から三億円のお金をもらっていろんないい装備を貰ってつくったものです。曽野綾子女史が会長だった時に三億円の救済金をくれた。救済金はもうそんなに貰わないで半分ぐらいはいろんな装備をほしいと、自動車を11台貰って、救助装備をいろんなところで三億だから一億五千万くらいのお金で作り上げた。それが半年ばかりして台湾に送られてきました。

 曽野綾子さんによくこんなものくれました。この1万2千人の救助隊、これ日本に何かあったら一番初めに日本に送りますよと約束したのに、その約束を果たせないのよ私。実際の所、心が苦しくて、金曜日私は日本の人民に直接がんばりなさいもうこんな時に運命だと考えずに一所懸命国を大事にするということをやりなさいというようなメッセージを書いたのです。

 ところが救助隊がだせない。台湾の救助隊を受け取る準備がないとか言って、ここの交流協会をはじめ外務省は断ってばっかり。でも私はそんなことを気にしないで土曜日一日だめだった。翌朝台湾の中華航空まで断った、飛行機出してくれない。そこでエバーグリーンに頼んで飛行機を出してくれと頼んだ。そして日曜日の早朝に救済隊を出した。羽田についたらね、外務省は台湾の救済隊を受け入れる準備はできいないといわれ、台湾の救助隊はどこへ行って救済していいのかわからない。

 そこで私の救助隊は甲府の山梨のNPOにお願いしてどこへ行くべきかと相談して岩手県の一番寒いところに送ってもらってやっとこさ、救助隊が救助に赴くことができるようになったんですよ。

 こんな状態を見ているとじっさい考えてみれば日本も変わったもんだなと思ったんです。指導者が国というものを考えていない。中国とコリアが来ているから台湾来るなという調子だからね。ところが台湾人はね、日本に対する感情というのが違うんだよ。世界で一倍多い救援金を全部集めて日本に送ったのは台湾じゃないですか。そういう状態を見ていますと、台湾と日本との関係はこういうような一部の人間が考えているもんじゃない。

>>>引用終わり