最近、色々と「歴史」の見直しについて「資料」がある事が判ってきました。

一方で、その「資料」を「誤り」としたり、又は、「無いもの」とする人質がいるのも「事実」かと思います。

「史実に基づく修正までなぜためらうのか」と題して、平川祐弘 東京大学名誉教授が投稿された記事がありますしたので、ご紹介させていただきます。

史実に基づく修正までなぜためらうのか 『歴史通』 2015年7月号

私は、何故、日本では「戦後70年も歴史が定まらないのか?」という疑問を持っております。

例えば、「ナチス」については、「事実」とされることが色々な分野において「資料」を証拠として確定しているので、大きな反論が出ないんだと思っております。

これは、当然、戦後すぐに判明したことで、犠牲者の声が聞き取れた、そして、検証できたというのが大きいんだと思います。


で、日本の場合は、戦後すぐに犠牲者の声が無かった、そして、今、検証が出来ない状況にあるので、お互いが言いっぱなしになっているのが大きいかと思います。


そういう意味で、「史実に基づく認識の修正」を行うのが、日本の子々孫々に贈る私達の義務なのではないかと思っております。

遅きに失しているとは思いますが、世界からなんと言われようと、「日本国民としての大東亜戦争」を考えてみたいと思います。

あまりにも、知らされていない「事実」が「埋もれて」いるようですから。

「自分」なりに考えてみるのがよろしいのではないでしょか。

「思想、信条の自由」がある国の国民なのですから。