私たちの「思考」は誰かしらの影響を受けているといえると思います。

それが「司馬遼太郎作品」なら「司馬史観」、「朝日新聞」なら「朝日史観」とかという具合ですね。

私が常々、異論参照ブロガーの群青さんのサイトを拝見して感じている違和感を、説明してくれている記事がありました。

『正論』『文藝春秋』で提起したこと 東京基督教大学教授 西岡力

この文章の中に

 その北畠氏は91年、大阪本社企画報道室長として「女たちの太平洋戦争」という通年大型企画を手がけていた。この連載をまとめた単行本の「あとがき」に、氏はこんなことを書いている。

 「大戦時の異常さを、ひそかに懐かしんでいる者が、この社会のどこかに身をひそめていないか。/一般社会の階層秩序が通用しない軍隊なればこそ、人を遠慮なく殴打できた者。平時の倫理が無視される戦時なればこそ、女性の性を蹂躙できた者。…」

 この文章からうかがえるのは、過去現在を問わぬ日本人への妄想まじりの不信と嫌悪である。日本の「悪行」を暴き立て、告発することでしか、そのネガティブな心根を満たすことができない。そんな「反日的日本人」像が浮かび上がる。彼にとっては、吉田清治の証言の真偽など二の次だったのかもしれない。

という記述があります。

この最後のブロックに書かれている事が、まさしく、私が、群青さんの一連のブログから感じる違和感なんですよね。

表向きには「日本人の良さ」という形を取ってはいるものの、その文章のどこかに、「日本人の不信と嫌悪」がいつも絡んでいる。

今回の西岡さんの文章を読んで、朝日新聞社のその指向性の卑劣さの一端を理解しました。
そして、群青さんのブログの論調も実は「朝日新聞」と同類なものだったので、私には違和感を感じているんだとようやく気が付いた次第です。

その点に気付くと、実は、韓国人の主張である「日本の政治家は悪いが、その他の日本国民は悪くない」という論調とも類似性があるなぁなんて思ったりします。

一つの文章がきっかけで色々と繋がって整理できてくる。
本を読むという事が良いという事が理解できますね。

新年早々、ちょっと、気持ちがスッキリできた内容でしたので自分へのメモ書きとして書いておきました。