「初舞台」
いつ自分の名前が呼ばれるかとどきどきしながら待つ瞬間が、みんな一番厭なくせに、いざ「晴れの舞台」へ上がったその瞬間、自分がその舞台の主役であることに酔いしれる。なんと健気なことよ、と微笑ましく好意的にも思える。おそらく育ちの良さと元来持って生まれた得な性格との相乗効果とさえ。
今日の speaking クラス内 assessment は、英語の会話力がどうのという以前の、もっと原始的に深いところでの、人間性の特質を試されたような気がする。
つまり、英語に限らず、言語というものはあくまでも人間関係に於けるコミュニケーション上の「道具」にすぎないことを、新ためて再確認させられ、そしてまた、道具としての言語をいかに巧く操れるかが結果の良し悪しに関わる。すなわち、今後の人間関係の発展さえにも影響することが証明された。
Criteria for Speaking Assessment テスト課題
Two students are paired randamly to talk about study related topics.
教師無作為選抜による、二人一組、英語学習に関する話題を5分間演じる
1/ opening the conversation 会話導入部分〜挨拶
2/ small talk 挨拶につづき世間話
3/ main subject 「ところで〜」本題:英語学習に関する話題
4/ closing the conversation 会話終了部分〜会話を締め括る
ひとこと「勝ったね」!
(17名中)15名+教師=計16名 からの positive reviews 肯定的感想。
たったひとりだけ negative reviews を発したのは、予想通り、アンポン・タリバン。
(そんなに毛嫌いするのって大人気なくない?)
わたしとペアを組んだ speaking partner は、たまたま隣に座る「無口でおとなしい」が売りの「シャイな年齢若干20歳のアフガン男子。
(ほとんど、孫の年齢!)
ただの日常会話でさえ、こちらが躍起になって質問攻めにしないと会話成立困難。
しかも、会話の能力はさほど高くなく、また発音も聞き取りにくい初心者レベル。
だからと言って頭が悪いわけでは、全くない。
Speaking Assessment の Criteria 中、会話主導役の話し手と聴き手に振り分けれるが、彼が話し手、わたしが聴き手の5分間は、途中会話が澱みかけるたびに、
「オイ、若者よ、しっかりせい、頑張れ!」と、幾度、心の中で応援したことか。
なにせ、会話牽引役、話し手の脚を引っ張って、聞き手のわたしから話を振っては assessment 評価外、つまりわたしから「手を出しては反則」。
いわばわたしひとりが、じたばた、やきもき。
(早いとこ、話を次へ繋げてちょうだいな)
課題は、話し手の質問・相談事に対し、聴き手が助言・アドバイス・意見をする設定。
そのため、わたしとモハメッドの会話は、聞きようによっては、立場が逆転しているようにも聞こえたのだろう、それが、わたしの perfomance に対しての、アンポン・タリバンの意味を成さない感想。
あのねえ、世間の皆さま、ほぼ99%が好意的な意見をお寄せくださる中、どうしても(そうじゃあね〜だろ)と根拠のない反対意見で押し切ろうとすること自体、自己主張ではなくただの「横槍」を入れてるな、というあたりで、アンポンの人間性自体に問題ありとみた。
アンポン・タリバンと例のコンゴ人女子ペアの role-play では、アンポンもわたし同様、会話の聞き役だった。が、初っ端から、まるで精神カウンセリングを受けにいった人物がカウンセラーと交わすような会話内容に、クラス一同「はあ?」
コンゴ 「は〜い、元気、あんぽんたん?」
アンポン「まあまあだね。」
コ「ご家族はどう?」
ア「いやあ、実は、僕には、オーストラリアと祖国に、別々の家族がいてね。
祖国の方の家族とは巧くいってなくてさ、ほとんど音信不通なんだ。」
コ「.........。」
(あのねえ〜)課題の状況設定上、ここでは単なる挨拶で通過することになっているのですが。
too much personal information.
誰もひとんちの家族構成・問題なぞ、聞いてもいやしないし、聞きたくもない。
あくまでも英会話授業内での、会話演習なんですけど。
この会話ペア、普段クラス内では「人から訊かれていなくても」(よくもまあ)「ペラペラと喋る」ことは喋るのだけれど、常に彼らの発する質問は「的を得ていない」。そして「本人たちだけが」それに気づいていない」、それが最大の問題点。
(ごめん but . . . )頭の回転があまり良くなさそうなひとたちです。というか、人の話をよく聞かないし、理解力に欠けている、またはその両方。
こういう人たち相手だから、わたしのように中途半端にまあまあ喋れたり、聴き取りができると(めんどくさっ)となるわけです。そのように評するわたしを「マウントをとっている」とこのひとたちには思われているみたいです。
非の打ち所がないわたしの演習会話例に対し、否定的コメントするも、まったくの説得力なし。
教師でさえも、
「君の意見は意見として尊重するけど、本当にそうだったかあな。
彼女のモハメッドへの対処は理想的だったと思うけどな、僕は。」
わたしは、わかるひとにきちんとわかってもらえただけで、充分満足です。
あんぽんたんに謂れなき絡まれ方をされた初日は、一瞬気にも病みましたが、結局、な〜んてことはない、見掛け倒しだったのね。
またもや時間の無駄でした、そんな些細なことで悩んだりしたことが。
Assessment は、来週も続きます。
わたしが「話し手」になる番です。
わたしの話し相手、聞き手は、一体誰が選ばれるのでしょう。
単純計算では、アンポン・タリバンがその役を仰せつかる確率はゼロになりましたので、心置きなく、performance を楽しみたいと思います。
(つっかれる〜)
