シンガポールで子育て中

シンガポールで子育て中

チャイニーズ カナディアンの夫と、カナダで産まれたが、大阪弁しかろくに話せないちび二人と私(関西人)の日々。英語、中国語、日本語の飛び交う毎日を過ごしております。

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書くのが久々すぎて、きっと誰も読まないだろうけれど、こういう観点が好きで、やっぱり人と話すのは楽しい!と思ったので書き留めておきます。多言語教育について。

今までの人生の中で、多言語を巧みに使いこなす人には多く出逢ってきました。カナダでは2ヵ国語話せるとか至って普通。フレンチイマージョンがあるし、親が移民だったりすると3ヵ国語も楽勝。

でも、我が家(3ヵ国語推進中)でもうーん🧐と悩むこともあったりで、今ここシンガポールでいい話聞けないかなーって思ってました。bilingualのための本は多くあっても、それ以上でよい例ってなんか、、ないというか、アバウトで。

そして、上には上がいて、初めて8ヵ国語を流暢に話す人に出逢いました。しかもエンジニア。ニヤニヤ 脳の構造が普通ではないわな。

その人の1番得意な言葉(?!)はドイツ語。
だけどこれからは絶対スペイン語だわ!と子どもたちには徹底してスペイン語を話す彼女。
「子どもたちはもう4ヵ国語話すわよ。」
。。。それが何かというと、

英語
フランス語
中国語
スペイン語

以上ポーン

旦那さんは、、、情けなさそうに、
「僕は英語しかできないんだけれどね。。。」
いやいや、まーそれ普通ですからニヤニヤ
そして世界の共通語が英語となっているのは「簡単な言語だからだろう。」と言われ、、、ある意味一理あると思った。
日本語は、難しい!!し、他の言語と似たところというのが少ない。英語は色んな文化が融合してるから、ヨーロッパ人とかには比較的学びやすい言語。

まーお母さんはイタリア語もプロ。
そしてもう脳の回転力の、、、違いよ。。。

コロナについても、怖いわよねーとかそういう話には一切ならないけど、政府の方針への意見やらが聞いていて面白いしごもっともと思える。

貧しい国々ではコロナは広がらないだろう、と。交通手段が、公共のものがないようなところではそれぞれが徒歩や自転車などに頼るから、物の動きも遅いし、混み合いすぎることもない、とかとか。
シンガポール政府の対応には素晴らしいという話は当然のこと、ヨーロッパの文化やら、色々語り、凄くいい勉強になりました。

多言語子育て、使う言語で大切なのは、こうと決めたらとことん姿勢を変えないこと being consistent is the key。
つまり、彼女はスペイン語!と決めたのでスペイン語を徹底して子どもに話す。
英語で返事されてもスペイン語のみを話す。

それは、彼女自身の経験でもあり、親がフランス語だったにも関わらずずっとドイツ語で返えしていたそう。フランスに引っ越したとときに学校の面接で、親が「この子はフランス語が聞き取れるとは思いますが、話せません」と言って面接に送り込まれて、面接の後、親は面接官に「この子、フランス語が全く問題なく話せますよ?」と言われて凄くびっくりしたと。。
毎日ソリャ話しかけられてて、入らないはずもない、よねーと思う。

もちろん個人差はあるだろうけれど、そうだなって、ちょっと軸がズレそうになってた私は日本語だ!めげない!!って気合が入ったのでした真顔

もう日本語はやめてよ!!とかいつかもしも言われても、徹底して突き通すぞ!!!デレデレ

今日はちなみに古いウルトラマンや、リラックマをひたすら日本語でテレビで見ていた我が子達。
そのままであれーウインク

今、急遽日本に来ています。

私の母の母(つまり私の祖母)と、とても良くして下さっていた従姉妹のおばさんが亡くなって(これまた日本到着直後に知らされてのショックの大きさ、、でしたが)、それも二人が亡くなったのが1日違いだったので、お通夜、そしてお葬式にと3日連続行き、きちんとお顔も見て、お別れすることが出来ました。

母方の方は何と数え年で101歳でしたが、満100歳まではあと二週間というところでした。老衰というか正式には肺炎ということでした。喉の力がもう弱くなっていて、いわゆるつばが肺に入っていってしまい、誤飲のような状態に。でも咳でそれを吐き出す筋力もなく、、ということでした。

もう100歳なのだから十分生きたという認識でいたけれど、葬儀屋さんが

「100歳という年月を生きてこられ、それだけ皆さまと多くの想い出があることでしょう。」

と言われ、当然なのにハッとしました。悲しいと思わないはずはなく。。。全く心の準備が出来ていなかった自分に気がつきました。

お通夜やお葬式のところどころで子ども達は寝てしまったりしたのですが、一番びっくりしたのは、下の子がお通夜の始めにウトウトしてしまい、叔母が横のお座敷に寝かしてきてくれたのですが、数分もしないうちに、気持ち悪いくらいのニコニコで一人で歩いて、かかっていたストールを持って 無言で戻ってきました。そして横にストンと座ったと思うとまたもたれてきて コテっと寝ました。

おばあちゃんはしつけに厳しい人でした。
食べる作法とか よく怒られたのを覚えています。
下の子が寝て、他の部屋へ行くなんて、おばあちゃんは、

「この間くらいここに居なさいよ。」

って、呼び戻したように思えました。
そしてそれが いかにもおばあちゃんらしく、泣くスイッチが勝手に入ってしまい、号泣。

結婚の時も、おばあちゃんに相談したのを覚えています。とても話し込みました。

「しっかりスパっと決断出来る、決断力のある人と結婚しなさい。成り行きでとかそういうのではダメ。」

と言われ、それはある意味優しさとかよりも大切な要素かと思ったり。それをしばしば感じつつ子育てしています。

何に関しても とてもクリアな意見を持っていて、とても強い人で、弱音をはいたなんて聞いたこともありませんでした。国際結婚だからとか、一切反対はなく、夫に浴衣もささっと作ってくれたくらいでした。「短足ね。」とか言いながら😅
でも80歳でもご近所のためにボランティア活動をしたりと、周りを思いやる心を強く持った人でした。

従姉妹のおばさん(おばあちゃんですが)は、お出かけ好きで、とっても社交的、カナダでも夕食を一緒にしたほど。家が近くて、何かあれば寄らせてもらっていたのですが、家に、、、いない時もしばしば😊
お話し大好きでいつもニコニコという感じでした。フットワークの軽さが羨ましく、こういう老後って良いなって思ってました。

二人とも顔を最後に見ることが出来て、話しは出来なくても、お別れがきちんと出来て、子ども達もこれから色々感じることは多かったはず。子ども達も会ったことがある二人(それも頻繁に)だったので、不思議そうに顔を覗き込んでは、「あれ、、、まだ起きない?」と聞いて、火葬の後には悲しい表情に。子どもなりに分かったのだと思います。

綺麗な顔を最後に見れて私はどれだけホッとしたか。。。最後に苦しんだんじゃないかとか思っていた辛い気持ちが勝手ながら救われて、離れている分 もっと逢いに行けば良かったとかいう後悔も、こうして会えたことで終止符をうてたというこれまた勝手な感覚。でもやっぱりこれが最後なのだ、もう話しは出来ないのだっていう辛さもぐっと心に強く感じました。

これからもっと貯金、頑張ろう。

やっぱり今大切だと思う人にはそれをしっかり伝えて、いっぱい会おう。会うことがどれだけ大切なのか、言葉に出すことがどれだけ大切なのかって 凄く思ったこの3日間。そしてこうやって親戚と集まってということもこのご時世少ないと感じました。

今まで以上にしっかり自分なりに頑張るぞ!!! おばあちゃん達の素晴らしい姿勢を引き継いでというか、心にとめて、それを子ども達にもしっかり教えていけたらと思うのでした。

なんだか今思ったことを書き留めておきたくて書いてみました。気持ちはまだぐちゃぐちゃだけど、、、私の母が気を落としすぎず頑張って欲しいと祈るばかりです。

下の子が昨日、13時間 寝ました びっくり

子供ってよく寝るよねーっていう範囲を、この子をよく知る親としては超えており、
「夕ご飯もすっ飛ばしてこんなに寝るなんて、
ちょっと、、、心配だなぁ。。。」
という感じではありました。

食欲が全て、の下の子 4歳。


そして今朝、起きてすぐ異変が。。

「ママー?何も食べたくなーぃ。。。ショボーン

唇は真っ白で、え?!若干の脱水状態?!
本人は水を欲しがるので飲みたいだけ飲みなさい、今日はもう家にいよう!学校おやすみね!と言って、お兄ちゃんだけ送りに、、、ってその時、


ゲロー


。。。嘔吐。

本人は泣きもせず。母 足に浴びる。

でもお兄ちゃんのバスが!!

とにかく足元シャワーだけして送り出し、せっせと掃除。。。笑い泣き


園では今 軽い胃腸炎が流行っているそうです。
それを見事に貰ってきたように思われます。

吐いた後はまたすこーし水を飲んで 朝寝ショボーン

こんなに体力がない下の子の様子は久々だったので、
起きてすぐに、「お昼どうしようか?」との声かけに、

「うーーーどんがいい!おねがい

に、母びっくり ニヒヒ

もう食べれるんかぃ!

家にうどんがなく出前。
シンガポールは出前がすぐとれて(携帯のアプリで)、
すぐ来てくれるので本当に助かります。。。

その後 桃とリンゴも食べてご満悦 ラブ

いやーもっと食べて回復してーーーー デレデレと母は思うわけです。


でもね、

夕ご飯にカレー軽く三杯ってどうなのよ ニヒヒ

カレーのつもりをしていたから食べてくれて助かったものの、回復、、、はやっ!!

シンガポールに来て以来、常夏だし、子供が病気になる頻度も少なくなるんじゃないかーなんて甘く考えていましたが、インフルエンザは年から年中流行っているし、しっかり風邪もひくし。。。手足口病になったら登園禁止だし。。。

甘かったです ニヤニヤ

とにかく、食べる子は強いので、回復も早い。。。
上の子は食欲減っちゃうのに。。。

とにかく、何があっても私にうつりませんように。。。滝汗

やもりさん 出没の翌日。
実は動きがありました 真顔


やもりさん、再び登場 とかげ

覚悟は出来ていたものの、
突然の出没には動揺を隠せない母 滝汗

それはトイレを掃除しようとゴミ箱を動かそうとした時。


また出たーーーーー!笑い泣き


当然ぎゃーっと叫ぶ。
そのトイレは寝室と直結しており、部屋へ入るドアは一つ。

子どもたちにも私の雄叫びがもちろん聞こえていて、

息子「もーーーーーママったらさーーーえー」。

と、そそくさと来てくれたと思った瞬間、


バタン🚪

。。。え?😱


呆気なくドアを閉められてやもりさんと密室になったのでした。もードア閉めてよーって?

薄情ものめ、、、いつか何か、、、ニヤニヤ (大人気ない。


その後、母はやもりさんと格闘し、トイレ横にあるお風呂の壁の隅に追い込み、やや弱っていたので雑誌に乗せて、外へ窓からぽいっと出してあげました。
あっちに出したよと報告すると そりゃ見なければと群がる子どもたち。本当に勝手なもんです。



そして月曜日の夜、何も知らない旦那が帰宅🏠
子どもたちが そりゃもー大変だったと話すと、

「ママ、そりゃー大きな声で叫んだだろーー?
でも逃がせたって凄いね。やもりさんは虫を食べてくれるから何も怖がることはないんだよーニヤリ


何よ、こっちの苦労も知らず ドヤ顔して ムキー


次出たら、、、いや、もう出て欲しくないので、
二度とお見かけしませんように。
でもでも もーーしも出ると、家を守りに、、、となったら、今度は旦那がいるときにお願いします 真顔 
いや、やっぱもう見たくないかも。。。滝汗
ついに、、、ついに我が家で目撃、シンガポール一年目にして出くわしましたのは、、、


やもりとかげ

それも、お風呂はいろうと、すっぽんぽーんで下の子とシャワー出した途端にご登場(お風呂のイス下から ササーーーっと。

ポーン!!!?うっへーーー出たーーー。

半分パニックでシャワーをかけるが効果なし。
そのまま寝室に突入された家守さんとかげ。。。
逃げ足の速さ、ピカイチ。
ベットの下に行ってしまう始末。。。

下の子は「パーーーパーーーーーーーえーん」と号泣。

パパは出張中 ニヤニヤ タイミング素晴らしい。

上の子は「一人ではいられない。。。」と風呂場に待機。。。

滝汗「うん、でもほら、やもりは家守と書くくらいで、縁起がいいとも言うし、パパ居ないから来てくれたのかも?」

長男「え?家を守りに?!びっくり

まーねー。。。滝汗

長男「結構です、間に合ってまーーす!ニヤニヤ

笑い泣き まったくですな。

出てきたらちょっと窓の外にぽいっとでも、、と言うと、

長男「やもりさーーん!!出ておいでーーー!!プレゼントあげるよーーー?照れ

え?ゲッソリ


長男「ママ、嘘だよ?そう言えば出てくるかもよ?!(妹にもヒソヒソ)」

へーーーーー、、、そんな知恵もつく年頃なのね、もうすぐ6歳 デレデレ

こう言うと下の子も一緒に乗り出す。

妹「早くーー、、、出てきたら怒らないよーー。。。(弱気」


結局家守さんは姿を見せず、ベットの下か家具の後ろやらにいらっしゃるのでしょうが、、、餌はあまりないだろうと思われるので、寿命ってどんなものなの?とインターネットで調べると、、、

10年。。。

え。。。ポーン




もう諦めるしかありません。
どうか、あのチョロチョロ具合が苦手ではあるので もう見かけませんように。。。
いつのまにか何処かへ行く OR カピっと死骸が出てくる、どちらかでお願いしておきます真顔

シンガポールではみんな家守さんと同居とか言うけど、、、ついに我が家にもきて動揺を隠せませんが、、、、
出来る限り早く、、、寝よう
(ベットの下かもってのが非常に嫌で気になって寝れない人。

長男が言った、「じゃ、パパ帰ってきたら居なくなるのかな?」という言葉を信じよう。

あと2日の我慢。。。滝汗 
もう出てきませんように。。。