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先週、夜に青汁を夫に勧められ飲んだところ、翌日の昼間から絶賛下痢+胃腸炎の様な痛みでのたうち回る数日間でした。
以前も買い物先のスーパーマーケットで小さい紙パックでストロー付の青汁を買い、運転しながら飲んでいたら即下痢になりまして、脂汗をかきながら家に着くまで半泣きで運転したのが記憶に新しいのですが、これで青汁は私には合わないと確信に至りました。
調べてみたら、他の方も同じ様な症状になることもあるようで、健康食品と言えど注意しないといけないと学びました。
夫は美味しく頂いているようです。*綺麗なお話でなくて申し訳ございません。
相変わらず世界が狂っておりますが、私は日々どのようにサバイバルできるか考えております。
先日狙っていた映画を観てきたばかりですので、プレッパー的視点から感想を綴りたいと思います。

「ラスト・サバイバー」から学ぶ、ディストピアな世界でも生き残るメノー派の人々
御年88歳の巨匠リドリー・スコット監督による本作「ラスト・サバイバー(本題:The Dog Stars)」は、ここ最近で見たサバイバル映画の中でもまた一味違った、終始絶望と静寂さに満ちたディストピアな世界観であっても、人は心をどう持つべきか、誰と生きるかを静かに問う作品であったかと思います。(以下、ネタバレ失礼致します)
犬がいるのでこの絵だとつい「アイアムレジェンド」を思い出しますが、またちょっと違う世界観なんです。
確かに何らかのパンデミックによりこのような荒廃した世界になったようですが、今回の大きな人類の敵はゾンビや地球外生命体ではなく、ただ奪いに来る生身の「人間」でした。
自分たちの敷地に入ろうとするものなら、それが子供であっても容赦なく撃つ。
ここまで非情にならないといけないのか、と胸が痛むシーンがありました。
ウイルス蔓延予防の為なのか、毎度必ず死体はガソリンを撒いて焼却しています。
主人公のヒッグは、物資を調達するのに車やバイクではなく、なんと相棒の犬、ジャスパーと共にセスナ機で遠い街まで遠征してました。
これは今までの映画にはない新しい調達手段でした。
彼はパンデミック前までは整備士だったので、機械に強いことが生き延びれた理由の一つかもしれません。
セスナ機で飛んでいる間、ただフライトを楽しんでいるだけではなく、上からのパトロールもしていました。
調達先ではゴルフカートで重いガソリンやその他物資を運び、セスナ機で運び住処に帰るルーティーンのようでした。
病院と思しき場所に寄り薬剤も必要なだけ調達していましたが、自宅での必要な薬剤や湿布、包帯やガーゼなどの備蓄の量を絶対的に増やさねばと再度強く思いました。
また、途中で点滴スタンドを何本か調達していましたので、最近の別記事でも触れたように海外の現役プレッパーも松葉杖や点滴スタンドまで用意しているようしたので、私も将来的に真剣に考慮しようかなと思いました。
さて、ヒッグと共同生活を送る元軍人のバングリーは飛行機の格納庫に冷蔵庫やキッチン用品を置いて生活していたようです。
男二人ながらも猟で何かしらの動物の肉を、畑ではニンジンなどの野菜を作って栄養を取っていたようでした。
コーヒーもいつでも飲める環境下にあるようで、定期的な物資調達のおかげでか必要な物はほとんど揃っている印象です。
それでいて招かざる来訪者らにしょっちゅう住居が見つかってしまうのは、土地の形状だったようです。
日頃その点を懸念していたヒッグは安心して生活できる土地を探していて、長らく無線で外部の人間と接触を試みていました。
より安全な土地を求めて旅に出たいヒッグと、必要な物が揃っている住処をみすみす捨てる気がないバングリーとの間で、これからの生活に対する価値観の違いが生じます。
後にその無線の相手が映画のクライマックスで明らかになりますが、サラリと表現させて頂くと、ディストピアな世界観にありがちな、追い詰められた人間が如何に狂気に駆られるかを見せられてしまいました。こんな世界観が待ち受けているかもしれないと想像するだけで気が滅入りますが、現実に本当にあり得る世界観が、我々の生活にも静かに忍び寄ってきているように思えてなりません。
映画ではヒッグもバングリーも、その他登場人物たちもバンバン銃を使いますが、武器や弾の備蓄はたくさんしてありました。
サーモグラフィで敵の様子が分かるゴーグルも使いこなしていたので、そんなのあれば私も欲しいです。
万が一奪いに来る輩と実際に出くわした時にどうやって相手をやっつけるか、私の場合、最近習得した技や巴投げしかないのが悩ましいところです。
そして物語の後半、とある集団に私は興味をそそられました。
「メノー派」の人々です。
調べましたら、通称「メノナイト」と呼ばれるキリスト教アナバプテストの教派だそうです。
服装がまるでアーミッシュのようでしたので混同しがちですが、信条も生活様式も全く違うようで、今回はとても勉強になりました。
平和主義を貫き質素な生活を取り入れる一方で、メノナイトの中でもいくつも派閥があるらしく、現代テクノロジーに頼らない生活をする人々もいるようです。
映画のメノー派の人々は電気を生活様式に取り入れていることから、割と現代寄りな人々なのかなと感じました。
ヒッグと日頃交流があったようで、豆が不作なヒッグが彼らから豆をどっさりもらったり、ヒッグが彼らの機械を整備してあげたりとお互いを助け合っているようでした。
ディストピアな世界でも生き残れるのは、缶詰を調達するだけでない、「生み出す力」を有する人々だけなのだと強く感じます。
食料だけではなく、衣料品や生活用品のほとんどを手作りしているかもしれませんね。
最後は安寧の土地を見つけることを断念したヒッグ達は、見つかりにくい土地に住むメノー派のコミュニティの中で新しいパートナーと生活することを選ぶことで物語は終わります。
映画を全体を振り返ると、改めて今回の世界観で一番恐ろしいのが「人間」であり、私の中ではそのような世界が訪れた場合、「どこに隠れるか」が大きな課題になると思いました。
リアルな話、現在でも普通に生活しているだけで白昼堂々強盗に入られるようになった我が国です。
来年からは文化を共有しない全く別の人種の「彼ら」が入ってきます。
近い将来見ることになるかもしれない「ラスト・サバイバー」のような混沌とした世の中と、現在の世界の状況が悲しくも既に重なります。
地上で襲われるなら、もう地下に潜るしかないなとさえ思ってしまいます。
あああ、アメリカサイズのシェルターが欲しい。
ないものねだりですが、イケメンのヒッグとシェルターに入る光景を妄想しながら、今日はこれでお終いとします。
