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先日、飯坂温泉の近くにある西根神社をお参りして帰ってきた。
福島だけではないのだろうけれど、うちの近所の神社は京都などから神様をお招きしている云わばチェーン店である。(お稲荷さんなら伏見稲荷からなど)しかし、ここ西根神社は完全地元の神様で、しかも江戸時代前期に実在した上杉家(米沢藩)の代官と地侍のコンビが.祀られてゐる。
もともと水不足で作物が取れにくかった伊達郡なのだけれど、用水路があれば豊かな実りを育むだろうという硬い信念を持った男たちが、農業用水路開発に命をかけたのだ。
代官の古川善兵衛は「吾、代官の職を奉ず。精神一たび至って、何事かならざらん。何ぞ先人の失敗に屈せんや」と言い放ったという。そこで地侍の佐藤新右衛門は、まず成功の見込みが高い用水路の掘削を成功させる。小さな成功を積み上げて藩を動かそうとしたのだ。しかし、莫大な資金を要する公共事業に、関ヶ原戦後に米沢に削封され財政が困窮する上杉家の上層部は戸惑い、議論が錯綜する。
そこで代官の古川は、自費で工事の再開を決断する。自費と言っても、代官とは年貢の代理徴収人である。新田開発にあたっては、数年間の年貢が免除される。これを財源に充てれば不可能ではない。
しかし問題はここからだ。上杉家上層部にとって、財政秩序を鑑みれば、この財源すら召し上げたいものだ。半ば強引に始まった公共事業は、事業着手後も古川代官を悩ませる。
そしてついに、古川代官は米沢へと召喚される。寛永14年(1637年)12月14日、古川は米沢に赴く途中、李平(すももだいら)という宿場で自決する。
彼は2つの辞世の句を残した。
「巌かねを 通さざらめや ひとすじに 思いこめにし 矢竹心を」
「ますらをが 身は砕けても 国のため 尽くす誠の 花や咲くらん」
彼は最期まで武士だった。公共事業に命をはった男たち。役人の鑑だ。今年は彼らのお守りを持って仕事にあたろうと決心した。
ところで不審な点は他にもある。地侍の佐藤新右衛門の件だ。佐藤新右衛門は、寛永14年(1637年)9月25日に唐突に死んでいる。理由は残されていない。なぜだ?実はふたりとも同じ命日なのではないか?
代官古川が自決したのは寛永14年(1637年)12月14日。ワタシは佐藤の命日は改
ざんされた可能性もあると睨んでい
る。代官古川の自決が抗議の自決だとしたら、藩としては公にできない。あるいは佐藤の死後、残務整理を終えて、古川は覚悟の自決を図ったのか?
本殿にたたずみながら、そんなことを考えていた。
我に帰ると境内では子どもたちが走り回っていた。参拝客たちで賑やかな参道を2人はどんな気持ちで見ているのだろう。
そばでは除染が行われている。
私は古川にも佐藤にもなれないけれど、無名の一役人として仕事始めを迎える決心をした。
今まで買ってはみたものの、枕の代わりにしていた本をドンドン読もう。
- 統合軍参謀マニュアル/白桃書房
- ¥2,940
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これはおススメだ。
①会議の開き方
②タスクフォースを円滑に進めるための調整の仕方
③議事録の報告の仕方
④計画の立て方と執行の仕方
は、どんな組織にも共通する。精神論では戦争はできても、戦争に勝てない。
付録にはファイルの書き方、情報分析の仕方が事細かく示されている。
説明に当たっては「解説付きの図解に説明の時間をかけすぎてはならない」と指摘され、ドキッとする。そうか、そういう参謀も多かったのか。
今年も夏まつり「国見夢まつり」がありました。
昼間は炎天下の下でしたが、夜になると大賑わいでした。
クライマックスは打ち上げ花火。
昔はスターマインとかを打ち上げていたけれど、消防の関係で今は小さな花火になっています。
それでも夏の風物詩。まだまだ夏真っ只中です。



