リスタートに花束を。 | 肉チャーハンに花束を

肉チャーハンに花束を

日記のような感覚で自由気ままにやっていきたいと思います。

当分は受験についての日誌として進むかなって感じです。

最初の投稿から五ヶ月。
ブログの存在を忘れた訳でも面倒くさくなった訳でもなかった。
僕はどうも臆病で自分の毎日を記録しようとは思いつつも、ネットという膨大な世界に突っ込んでいく事にタメライが出てしまった。
大した文才も無いし学者や政治家でないくせに、ちゃんとした文章や考えを述べなきゃ、みたいな強迫観念や義務感も変にあったんだと思う。
つくづく自分という人間が不思議で面倒臭いものだとも思った。

それでも精神的に少し落ちてた時期だったのでそれに歯止めをかけるというか自分なりの対処として、日記はつけたいなとは思った。
とりあえず紙とネットを同時進行されば良いやという事でスタートしたけれど、時間的な事と紙である日記帳は本当に誰にも見せなくて済むという事があってか、すぐにブログは放置という形なってしまった。

良し悪しの問題ではないからそれはそれで良かったんろうし、事実日記を書きはじめてからは少し心も落ち着いた。
(病院にも通ってるから、それは勿論診てくださってる先生や薬や両親や親友達のお陰でもある。)


ここ数年で出会ったブログで僕が特に好きだったお三方のブログがある。

一つ目は年齢的に僕よりいくつか年下の方の大学受験ブログ。
それから大学で哲学を専門とする教授の方のブログ。(更新はストップしたけど過去アーカイブあり)
そして現役ソープ嬢をされているある方のブログ。(こちらは既に閉鎖されてしまってる)

時制的に新旧様々だけど、どの方のブログにも共通してるのはとにかく自分をさらけ出してる事。
肩肘張るのではなく、時に趣味の事、時に単なる愚痴、時に人間関係そして各々の人生論、多種多様に自由に自分の言葉で表現している彼らの文に、僕はひたすら”暖かみ”を感じた。
しまいには泣きそうになったりもしながら。
臆病になる理由の根本にはここにあるのだと思う。というか、気付かされた。
自分を表現すること、さらけ出す事は本当になかなか出来る事じゃない。恐怖だったり羞恥心だったり嫌悪感だったり、色んな感情と向き合わなきゃならないない。つまりは自分自身と。
そこに各々のスタイルで対峙している彼女彼等に憧れ、その人間らしさに心が動かされた。


5月から大学を休学して東京で再受験を開始するのでこれを機に紙からブログへと手段を移行してみようと思う。
自分も彼等のようなブログを書きたい!なんて言えたらカッコイイのだろうけど、そんな大義名分はとても僕には作れない。
触発されたのは確かなのだろうけど。
そういった理由はプレッシャーになるので。

これから一年の事は正直不安6割ワクワク4割といったところかな。いや、これは強がり過ぎかも。
何かが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
僕自身は元々自分の事が好きではないので変わりたいとは常々思ってる。
何より大学合格という明確な目標があるので、それが行動機軸というか中心に回ってくのだろう。
そうした中で自分なりにきちんと自分と向き合いたいと思う。

って訳で今日からリスタート。

タイトルのシバリはカッコつけてるだけ。
さ、図書館へ、ゴー。