第19回その1:お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:「天橋立」天地の架け橋の聖地 | 上祐史浩

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お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:第19回①

天橋立:天地の架け橋の聖地

 

 


 お勧めのパワースポット・聖地の第19回は「天橋立」です。言わずと知れた日本三景の一つですが、同時に非常に重要な寺社のある地域でもあります。そもそも、天橋立自体が、神話の上では、天と地の架け橋であったとされています。

 

 そこでまず、①文献から天橋立の自然・寺社・聖地のご紹介をし、その後に、②2020年1月13日に、私たちが実際に天橋立に行った時のレポートをご紹介します。

 そして最後に、③天橋立を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクして、ご紹介します。

 

 

文献からの天橋立の自然・寺社・聖地のご紹介
 

 

 天橋立を中心とする丹後地方は、日本の創世と深い関わりがあると見られています。現に、この地方のことを別名で元伊勢(もといせ)といいますが、日本人の心の故郷ともいわれる伊勢神宮のある伊勢の「元」は、まさにここにあったのであり、日本の根源に関わる極めて重要な地方であったことがわかるのです。

●天橋立

 天橋立は、日本三景の一つとして知られている名勝です。
 全長約3.6kmの細長い砂浜に約5000本もの松が生え、白砂青松の美しい地形で、あたかも天に架かる橋のような形をしているので「天橋立」といわれるようになりました。
 地元の伝説(風土記)では、日本の「国生み」をした神・伊邪那岐(いざなぎ)が天に渡るための橋を架けたものの、寝ている間に倒れてしまって今の姿になったといわれています。また、伊邪那岐が「国生み」をする際に「天の浮橋」に立ったという『古事記』の記載もあることから、この地域が、「国生み」つまり古代日本の創生にあたって、大きな役割を果たしたのではないかと考えられています。
 この美しい松林の海上回廊ともいえる天橋立を、南から北まで歩いて渡っていきます(天橋立の途中にある天橋立神社にもあわせて参拝します)。
 なお、この天橋立は、この先にある「元伊勢 籠(この)神社」へ至る参道として位置付けられてきましたので、参拝に向かう気持ちで歩んでいただきたいと思います。

「元伊勢」籠(この)神社・真名井(まない)神社

 伊勢神宮に祀られている天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)が、現在地に遷座される前に、一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所を「元伊勢」と呼びます。
 特に、伊勢神宮の内宮に祀られている天照大御神は、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)と倭姫命(やまとひめのみこと)により、90年かけて二十数か所を転々と移動されました。
 籠神社は、その元伊勢の一つにあたります。
 主祭神は、彦火明命(ひこほあかりのみこと)で、またの名を「天火明命(あめのほあかりのみこと)」、「天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」ともいうとされています。
 また、伊勢神宮の外宮の豊受大神は、籠神社の奥宮である真名井神社から遷座されたという伝承があります。
 よって、ここは、伊勢神宮の内宮・外宮の両方にとって「元伊勢」に当たるという大変珍しい神社であって、それだけに特別な聖地ともいえます。
現に、籠神社の本殿の5色の座玉(すえたま)は、伊勢神宮とここにしかない特別なものです。

◎豊受大神はユダヤ由来の神様との説

 そして、古代日本創世の謎のヒントともいえる存在が、籠神社の奥宮・真名井神社のご祭神である豊受大神です。
 豊受大神は、現在は、前記の通り、日本で最高の社格を持つ伊勢神宮の外宮に、食をつかさどる神様としてお祀りされています。しかし、この神様のことは、古事記に少し書かれているだけであり、官撰の公式な歴史書である日本書紀においては、全く記載されていません。つまり、古代から最高レベルの神様として大変尊重されてきたにもかかわらず、なぜか正体が全くといっていいほどわからない謎の神様なのです。
 伊勢神宮にお祭りされる前は、元をたどれば、前記の通り、籠神社の奥の院である真名井神社にお祭りされていました。そして、この真名井神社の紋章は、ユダヤの象徴である籠目紋だったのです(以前は真名井神社に籠目紋が刻まれていましたが、現在は事情により消されてしまったそうです)。また、真名井神社の名前の一部である「マナ」とは、困窮したユダヤ人に対してユダヤの神・ヤハウェが天から降らせて与えた「聖なる食物」として旧約聖書に記されているものなのです。
 豊受大神が、食物を司る神とされている由来は、ここから生じているとも考えられます。
 豊受大神を祭る伊勢神宮・外宮の社家である渡会家は、豊受大神こそが始原に現れた根源的な神であるとする独自の「伊勢神道」を成立させ、その後の神道界に大きな影響を与えました。
戦後日本の新宗教の母体となった大本教の指導者・出口王仁三郎も、豊受大神は根源的な神である国常立尊(くにとこたちのみこと)と同じであると唱えて、最高神に位置付けていました(なお、籠神社も公式に、豊受大神は根源的な神である天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同神という見方があるとの見解を示しています)。
 また、「世界最高の超能力者」としてソ連科学アカデミーから認められていたブルガリア人女性ベラ・コチェフスカ氏が1992年に来日した際は、伊勢神宮外宮を参拝し、神秘体験に打たれ、「豊受大神はヤハウェである」と語ったりしています(来日の詳細は1993年3月号の『文藝春秋』誌に掲載)。
 そもそも、籠神社の「籠(この)」とは、「籠(かご)」にほかなりませんが、ユダヤの紋章が籠目紋(かごめもん)であったことからして、ユダヤとの関連がよりうかがわれるところです。
 こうしたことからも、古代ユダヤ人は、かつてこの丹後地方に上陸し、ユダヤ教の信仰を伝え、ヤハウェ(=豊受大神)崇拝の伝統を残したのかもしれないと考えられているのです。
 実際、この丹後地方は、古代においては大陸の玄関口であり、文化が発展した国際色豊かな地域でした。南洋方面からでも海流に乗って対馬海流に沿えば、ちょうどこの地方に漂着しうることから、古代ユダヤ人のみならず南洋の人々もこのルートでこの地に漂着した可能性が指摘されています。

◎「もう一つの天孫降臨伝説」を秘めた海部氏の家系

 こうした、歴史の表には公式には出てこない海外からの渡来神をお祭りし続け、その秘密を守り続けてきたと見られるのが、籠神社の社家である海部(あまべ)氏です。海部氏は、代々、世襲によって宮司職を継承し、現在の宮司は82代目にあたります。その歴史は極めて長く、2000年以上にも及んでいるとされています。
 それを裏付けるように、海部氏の家系図は、現存する日本最古の家系図として、国宝に指定されています。平安時代に作成され、当時の官庁の公認を受けた信頼性の高い内容とされています。そして、その家系図の注釈書に、天祖から与えられたと記載されている宝物の鏡2枚も、現在まで大切に海部氏に伝承されており、約2000年前の中国・漢の時代に作られたものであることが科学的に明らかになっています。通常、これだけ古い鏡は、遺跡や古墳の中から出土されるケースが多いのですが、代々伝えられてきた鏡(伝世鏡という)としては、日本最古となります
 家系図や宝物とともに、これだけの古い家系を誇っている海部氏の始祖は、家系図によれば、籠神社のご祭神である天火明命(あめのほあかりのみこと)という神様になっています。天火明命とは、ひかりの輪でも2011年に巡礼した九州・高千穂に降臨した天照大神の孫(天孫)邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄弟神にあたります(古事記の記載による)。
 現在の天皇家は、高千穂に天孫降臨した邇邇芸命の子孫とされていますから、海部氏の存在は、歴史には記されていない「もう一つの天孫降臨」があり、その子孫が今でも続いているということを物語ることになります。
 こうした事実が明らかになることを防ぐためか、海部氏の家系図は、長年にわたって「人に見せてはいけない」として非公開とされてきました。それだけに、近年になって家系図や鏡が公開されたときは、大きな衝撃をもって受け止められました。
 そして、この海部氏の始祖神である天火明命も、謎に包まれた神とされてきました。伝説によれば、天橋立の沖合に浮かぶ二つの島(冠島(雄島)と沓島(雌島))に降臨したと伝えられ、冠島には天火明命をお祭りする神社があります。
 その一方、この二つの島には、豊受大神と同じとされる根源神・国常立尊が3000年にわたって幽閉されてきたとして、表にお出ましいただくための重要な神事(島開き)を、出口王仁三郎が明治33年に行っています。
 以上の通り、海外から渡来したユダヤの神と思われる豊受大神、そして「もう一つの天孫降臨」として天降ってきた(おそらく海外からやってきた)アメノホアカリノミコトの二柱の神には、共通点があり、両者は一体、または深い関連性があると考えられます。
 約2000年の長きにわたって、天火明命を始祖神とし、豊受大神をお祭りし続けてきた籠神社の海部氏は、こうした謎を秘め続けてきたと見られますが、21世紀を迎えた今、徐々に謎が明らかになってきているように思えます。それによって、日本と世界との深いつながりが再確認される時代が到来するのかもしれません。

●智恩寺

 天橋立を挟んで籠神社の反対側(南側)に位置しているのが、智恩寺です。寺伝によれば、808年(大同3年)に、平城天皇の勅願寺として創建され、現在は臨済宗の寺院です。
 ご本尊は文殊菩薩で(秘仏)、「日本三文殊」の一つとされる文殊菩薩の霊場です。智恵を授けてくださる文殊さんとして、受験生などが多く参拝に訪れるといいます。
 境内には、「輪」を3回くぐれば文殊様の智恵を授かるという「智恵の輪灯籠」があります。天橋立を歩く際に、あわせて参拝させていただきます。

●成相寺

 天橋立を北から見下ろす山腹に位置するのが、707年(慶雲元年)に真応上人または聖徳太子によって開基されたという成相寺です。西国三十三箇所第28番札所で、真言宗の単立寺院。古くから修験道の修行者が修行してきました。日本全国の「聖の住む所」の5本の指に入るほど信仰されてきました。
 ご本尊は、身代わり観音、美人観音ともいわれる聖観世音菩薩で、33年に1度だけ開扉される秘仏です。
 身代わり観音の由来は、一人の僧が雪山のこの寺で修行中、餓死寸前になったとき、観音菩薩に食べ物を懇願したところ、観音菩薩が傷ついた鹿となって現れ、その鹿の肉を食べて飢えを凌ぐことができたという話にあります。ここから、願うことが成り合うので、成合(相)寺と名前がついたそうです。
 また、御伽草子の梵天国王の姫君が姿を変えられた観音様だといわれているそうです。拝む人は美しい人になるという美人観音としても有名です。

●パノラマ展望台

 成相寺の本堂から1キロ登った山上に位置するパノラマ展望台からは、天橋立の全景はもちろん、天候が良ければ、はるか能登半島や北アルプスの白山まで見渡すことができます。
 また、丹後地方に最初に「元初の神」が天降ったとされる最重要の聖地・雄島(冠島)と雌島(沓島)も、若狭湾上に見ることができます。
 
●冠島(かんむりじま)・沓島(くつじま)

 冠島は別名を大島、雄島(おじま)、常世(とこよ)島、竜宮島ともいい、沓島は別名を雌島(めじま)または小島、鬼門島ともいいます。
 籠神社の御祭神、天火明命と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が降臨したとされ、籠神社の奥宮といわれています。
 籠神社の神域でもあり、天橋立が見渡せる傘松公園にも、冠島と沓島の遥拝所が設けられています。

●由良の浜

 由良川の河口付近に広がる、約2㎞にわたって続く広大な遠浅の白い砂浜。冠島・沓島を望む絶景のビューポイントです。 
 団体で毎年行う出羽三山の修験道修行は、今年2020年で10回目を迎えます。一説によると、出羽三山の修験道の開祖・蜂子皇子(はちこのみこ)ゆかりの場所が、由良川・由良の浜にあります。蜂子皇子は、都から由良川を下り、日本海の山形は由良の浜に出、北上して出羽三山付近で三本足の烏に導かれ、羽黒山に入り、羽黒修験を開いたと伝えられています。

●如意寺

 由良神社の別当寺。聖徳太子の弟である麻(ま)呂(ろ)子(この)皇(み)子(こ)創建と伝わる古寺。現在でも出羽三山と交流が続くといいます。
 地蔵堂には、京都府指定文化財・鎌倉時代の仏師・快慶作の地蔵菩薩坐像がお祀りされています。「身代り地蔵」とも呼ばれ、「山椒太夫」の物語の中で、太夫に捕らわれていた安寿と厨子王の姉弟が逃げようとした際、焼印を当てられたが、一夜明けると姉弟の傷は癒え、この地蔵菩薩像に焼け跡がついていたという伝承があります(地蔵菩薩像には実際に右肩に焼き印を押されたような跡があるという)。

●由良神社

 ご祭神は、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、櫛御気命(くしみけぬのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)。
 古くは由良ヶ岳中腹に鎮座し、熊野十二社大権現や熊野三所権現と称していました。もともとの社殿は上の宮、中の宮、下の宮の3社でしたが、18世紀初頭、中の宮にまとめられ、熊野三所とし、東側の社殿を下社、熊野九所としました。

 

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●天橋立訪問レポート:2020年1月13日

※以下は同行したスタッフによるレポートです

 

 

 

2020年1月13日に天橋立を中心とする自然とその地域の聖地を巡りました。

 

 

 

 

  天橋立を中心とする丹後地方は、日本の創世と深い関わりがあると見られます。

 この地方のことを
元伊勢天照大神と豊受大神が伊勢神宮に遷座される前に一時的に祀られたという伝承を持つ場所を呼ぶ)といいますが、丹後地方の籠(この)神社が元伊勢にあたります。

 今回は
元伊勢とイザナギの国創り伝説の地などを巡りました。

 そして、まずは、
智恩寺に参拝させていただきました。
 これは
天橋立の南側に位置します。


 

 

 

 臨済宗のお寺です。ご本尊は文殊菩薩で「日本三文殊」の一つとされる文殊菩薩の霊場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

智恵を授けてくださる文殊さんとして、受験生などが多く参拝に訪れるといいます。祈願がたくさん。

 

           

 

 

「輪」を3回くぐれば文殊様の智恵を授かるという「智恵の輪灯籠」


 

 

 

くぐるのはちょっと無理ですね。

 

 


次に、智恩寺さんから天橋立を渡ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

         全長約3.6kmの細長い砂浜に約5000本もの松。

 

 

 

 

白砂青松の美しい地形で、あたかも天に架かる橋のような形をしているので「天橋立」といわれるようになりました。

伝説(風土記)では、日本の「国生み」をした神・伊邪那岐が天に渡るための橋を架けたものの、寝ている間に倒れてしまって今の姿になったといわれています。

この美しい松林の回廊を南から北まで歩いて往復しました。
天橋立の途中にある天橋立神社にもあわせて参拝。

 

 

                

 

 

      天橋立の中にある 磯清水:周りが海なのに真水がわき出ています

 

 

 

 

 

 

   砂浜に出ると真っ青な空と静かな海、陽の光も美しく爽快感に浸りきりました。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

向こうに雄島(大島、冠島)雌島(小島、沓島)も見えました。両方とも神の島と言われています。特に、雄島は、籠神社の御祭神、天火明命と市杵島姫命が降臨したとされ、籠神社の奥宮といわれています。

 

 


左が雌島、 右が雄島です

 

 

この後は、「第19回その2:お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:天橋立:天地の架け橋の聖地」に続きます。