歴史は繰り返すのか:アレフ問題の行方 | 上祐史浩

上祐史浩

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 昨日、アレフの覆面ヨーガ教室の被害にあった人とお話しをしました。


 その人の話では、そのヨーガ教室に出会った時から、オウム問題を気にしていたので、最初に相手(=信者)に、「宗教ではないですよね」と確認し て、「宗教ではない」と答えたので、始めた。しかし、途中で気になって、ひかりの輪のアレフ問題対策室(ブログ:アレフ問題の告発と対策)に問い合わせ、 担当者の名前からアレフの出家信者と判明。

 そこで、既に三万円支払っていたので、返還を請求したが、返金されなかった。そこで、アレフ対策室の助言を受けて、先日滋賀県警が、覆面ヨーガ 教室のアレフ信者を詐欺罪で摘発・起訴した事例を指摘して、警察に被害届を出すことを伝えると、そのアレフ信者は、直ぐに返金してきた。

 その過程では、その信者は、アレフを隠してアレフにお布施させた詐欺的な行為ではないとするためか、「アレフでやっているのではなく、個人でやっていること」と弁明。しかし、滋賀県警の摘発の話しをすると、直ぐに返金してきたのだから、やはり認めたようなもの。

 また、アレフと言わなかった理由として、「誤解されるので、最初からアレフとは言わなかった」と。しかし、これで自らアレフと認めたことになる。そして、依然として、自分たちは真理であり、それを世間が理解していない=誤解しているという考えであることがわかる。

 3万円の支払いに関連し、「お布施をすると功徳になり、幸福になるから」と言われたという。アレフは、お布施とは、通常、一信者にするものではなく、教団ないし麻原に行うものだから、この三万円が、信者個人ではなく、アレフへの布施として処理されたと解釈するのが自然。 また、貯金いくらあるんですか、と聞かれたそうです。

 また、最近東京の方で連絡してきた人は、30万円もの(ヨーガ関係の?)教本を買わないかという話しもあったそうだ。それは断ったそうだが、この30万の教本とは、アレフの主力の教材である、アレフ教学システム(全10巻・30万円)に違いないと思われる。

 しかし、これは、オウム真理教時代の教学システムと全く同じ内容で、そのオウム真理教の著作物の著作権は、アレフにはない。それは、事件の賠償のために、オウム事件の被害者団体にある。それを売るのは、著作権侵害の犯罪行為である。現在東京地裁で調停中の問題。

 さらに、その教室の中で強調されたのは、他の覆面ヨーガ教室と同じように、ヨーガ行法では無く、輪廻転生の存在とフリーメーソン陰謀説。輪廻転 生を強調するのは、それによって、その後、「現代人は悪業が多く修行しないと地獄に落ちる、そして、転生を救えるのはグル麻原だけ」という考えに誘導する ための前段階であることが、各地の報告から分かっている。

 陰謀説は、最初は911テロなどから入って、最後はオウム真理教事件も陰謀として、入会への精神的抵抗感を和らげるための準備。よって、この ヨーガ教室は、信者の個人の行為ではなく、もっぱらアレフへの入会を目的とし、アレフの活動の一環である可能性が非常に高い。だから、自分でも、詐欺罪に 問われる恐れを感じ、返金したのだろう。

 ただし、返金を受けたとしても、詐欺罪は既に成立している。返金は情状を良くするだけで、免罪とはならない。今後、アレフが覆面ヨーガ教室や、 輪廻転生や陰謀説による詐欺的・洗脳的な教化活動をやめるのであればともかく、それを継続するのであれば、この件が改めて、警察に告発されることになる可 能性もある。

 被害に遭った人も、自分のような被害者が二度と出ないことを願っている。アレフの人達が、この現状を理解出来るかどうか。

 なお、本件の詳しい経緯は、アレフ対策室が、そのブログに掲載中(http://ameblo.jp/aleph-mondai-taisaku/entry-11289424385.html)。

 今、アレフ対策室には、各地から被害の問い合わせが来ている。特に、最近多くなってきた。今日もたった今、大阪から一件。先週後半から合計3件。関西も関東も。アレフに関する報道は、まだまだ不十分だが、最近は多少増えてきたからだろうか。

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 次に、アレフの著作権侵害の問題がついに公に報道され始めた。テレビ朝日。著作権者であるオウム事件の被害者支援団体の弁護士の方のコメントがある。http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220628063.html。この問題、いよいよ徐々に周知されていくようだ。

 ただし、今回の報道された問題は、単純な著作権侵害の問題ではない。被害者団体にオウム真理教の著作物を無断で使用している問題で、著作権侵害 を指摘され、追い詰められているアレフが、それをかわすために、オウム真理教の書籍そのものではなく、麻原の著作や麻原の説法の一部を使って、(信者)個 人の名義で、新しい本を出したのである。

 この本の狙いは何か。団体著作権と個人著作権の違いを利用したアレフの対抗策だ。アレフの広報担当者に最近接触した人物が聞いたことは、著作権 問題に対してアレフが予定している反論は、麻原の著作物や説法は、麻原個人の著作権であり、オウム真理教の著作権ではないから、それを被害者団体に無断で 使っても、著作権侵害にならないというものだそうだ。

 被害者団体が有しているのはオウム真理教の著作権で有り、麻原個人の著作権ではない。そして、今回の新しい出版物も、麻原の個人名義で出版された過去の書籍(生死を超える)と麻原の説法などを中心としている。

 しかし、アレフが現在使っている教材の中には、オウム真理教時代に明らかに、オウム真理教名義(オウム真理教のクレジット)で刊行されたものがあるが、それも無断で使用している(例えば先ほどの30万円のアレフ教学システム)。

 また、①麻原の著作物や説法が本当に麻原個人の著作物であり、オウム真理教の著作物ではないのか、②さらには、麻原個人の著作物であれば、麻原 の起こした事件の被害者側に、無断で使用し続けられるものか、については、弁護士の方であれば、よくおわかりになるだろう。この点は、自分がここで書く と、迷惑をかける可能性があるので控えたい。場合によっては、証拠隠滅など、アレフを利することになるからだ。

 よって、私がアレフの人達に願うことは、アレフの人達が、自分自身を客観的に厳しく見つめ、どういった主張が裁判で通用し、通用しないかを冷静 に判断することだ。自分たちの理屈・解釈の中で、自分たちが正しいと考えても(思い込んでも)、裁判所が、社会が、それを認めないというのが、これまでの 圧倒的な流れだったはずだ。さらに、被害者支援団体は、弁護士の集団で、その理事長は、元日弁連会長(日本弁護士会のトップ)でもある。


 そして、歴史が繰り返されるということがある。

 1989年、オウム真理教の苛烈な出家制度の問題をサンデー毎日が取り上げた。その情報源が、坂本弁護士だった。そして、11月4日、坂本弁護 士殺害事件が起こった。その後、オウム真理教は総選挙に出馬して惨敗、その後、熊本県波野村に信者が集団移転して、そこで地域住民とのトラブルが発生し た。

 その後、ちょうど20年たった2009年。私が2007年にアレフを脱会した2年後。被害者支援団体の対立が鮮明になった。奇しくも、その被害 者支援団体の弁護士は、坂本弁護士の同僚だった方々。被害者支援団体が求める賠償契約の更改をアレフが拒絶。最初は更改に応じるそぶりを見せていたが、一 転して態度が豹変したそうだ。

 さらに、アレフは、その弁護士の方が、地域住民の集会で話した内部の一部を批判して、その謝罪が無ければ一切交渉に応じないと主張し始めた。と ころが、アレフの批判は、弁護士が、アレフが予定する賠償金額をアレフが報告した額よりも多少多めに言ったというだけ。ある意味でアレフに有利な話しなの だから、揚げ足取りとしか思えない。しかし、その後は、この批判と謝罪の要求の一点張りだそうだ。被害者団体が、昨年2011年に、著作権侵害をやめるよ うに通知した際さえ、そうだと聞いている。

 そして、アレフと被害者支援団体の対立が鮮明になった2009年に、支援団体の弁護士の先生に呼ばれて、なぜアレフが強硬な路線に転じたと思う か、私達が推察できることがないか、を聞かれた。その会合の日が、何と2009年11月4日。坂本弁護士の20年目の命日だった。私達にとって、それは衝 撃だった。20年の時を経て、坂本弁護士の同僚の弁護士が、オウム真理教を継承したアレフと再び対立している。歴史は繰り返す。

 そして、その翌年、アレフは、東京の足立区に大型ビルを購入し、信者が集団移転。地域住民問題が発生。足立区は特別条例をもって対抗する。89年の坂本弁護士との対立の翌年に、熊本県波野村に集団移転したのと同じように。歴史は繰り返す。

 また、最近最もアレフ問題に関心を持っている週刊誌は、少なくともその一つは、今回もまた、サンデー毎日のようだ。先日は、サンデー毎日の取材 を受けた。彼らの記事は、被害者の弁護士や江川紹子氏のコメントも載せて、アレフの問題の大きさを指摘している。ここでも、歴史は繰り返すのか。なお、こ のコメントの中には、ひかりの輪とアレフの違いがある程度表現されているものがある。

 今回は、弁護士を殺害するなどの暴力事件はないだろう。アレフの教義では、殺人を正当化できるのは、最終解脱者の麻原だけだし、その意味で、麻 原の教えに合致しない行為であり、さらには、団体規制法の再発防止処分や破防法の適用による教団解散という自滅の道だと分かっているだろうから。

 ただ、被害者支援機構の弁護士の方は、「アレフにやられるかも知れない」という一抹の不安を戴きながら、それでも、アレフの問題を解決しようと している。縁あって、それを私は知った。そして、麻原の家族の中には、麻原が最終解脱者と位置づけた今現在20歳前後の長男・次男がいる(ただし、最近接 触した人によれば、長男本人は最終解脱者という意識はないらしいが)。

 だから、被害者支援団体や私達ひかりの輪だけでなくて、当局、報道関係、社会全体が、この問題に関心を持ち、アレフの問題が無事に解決するよう に願っている。坂本弁護士の殺害は、オウム教団が、社会の関心の隙を突いた形で起こった。あの時は、サンデー毎日と教団の対立は見えていたが、サンデー毎 日に情報を提供していた坂本弁護士と教団の対立関係は見えていなかった。

 今回は、この問題に関係する全体を社会が知り、それに基づいてアレフを全体で監視すればするほど、不足の事態が起こる可能性は一層低くなる。そ もそも、麻原無しでは、不測の事態は起こらないと思うが、それだけでなく、アレフが速やかに観念して、賠償の履行や著作物使用の停止などに至り、問題が無 事に、そして、早く解決するだろう。

 17年前は、私はオウム教団をマスコミ上で擁護する立場に回った。今回は、アレフの問題を告発し、解決するという逆の立場、アレフに敵対する立 場となった。しかし、これは、単純に、昔は、アレフの一員であって、今はアレフの敵ということではない。みんな日本人であるから、そもそもアレフ対社会と いう構図自体が本質的なものではない。

 もちろん、私達は、アレフの覆面ヨーガ教室で、一般の人が、詐欺の被害や、麻原無しでは地獄に落ちると思い込む精神的な被害や、アレフ入会によ る家族崩壊といった被害がある現状において、それを解決するために、そして、オウム真理教事件の被害者の著作権侵害被害の回復と被害賠償の促進のために、 この問題に言及している。

 しかし、それだけのためではない。かつての友人達が、かつての私と同じように、盲信ゆえに、妄想ゆえに、現実を受け入れられず、麻原への帰依として、社会と妥協できずに対立を続け、空しく自滅していくことをなるべく回避したいという思いもある。

 アレフは、賠償は最大限にしなければならない。足立のビルは退去・放棄しなければならない。オウム真理教の著作物も使用停止しなければならな い。ヨーガ教室をやるならば、輪廻転生説による脅しや、陰謀説を破棄し、麻原・アレフから独立して、自分たちなりのヨーガ教室をやらなければならない。

 これは、彼らにとっては辛いだろう。

 しかし、このまま突っ込めば、著作権侵害は、刑事犯罪であり、教団全体が摘発・逮捕されることにもなりかねない。そして、上記のような脱法行為 とも解釈されかねない出版物を出せば、火に油を注ぐ。過去の違法行為・犯罪行為はなくても、未来の犯罪行為をなくすことは可能だ。無用な対立、摘発、逮 捕、崩壊を避けるべきではないか。

 そして、必死にやれば、麻原から独り立ち出来るはずである。

 実際、ひかりの輪は、麻原の信仰を払拭し、教材を全て破棄し、陰謀論を反省して、事件への関与を認めてHP等で公表し、賠償契約を締結・実行 し、覆面布教ではなく、SNSでも所属と実名を公開し、自分たちなりの仏教等の智恵の教えを説き、財務状態は苦しいものの、何とかこれまで生きてこれたの だ。

 さらに、これは運命でもある。教団の中で、2003年頃に、麻原色を薄めようとした私に対して、今現在アレフに残っている人達は、私を魔境と断 じた麻原の家族の指示に基づいて、私の説法や書籍を使用禁止とし、麻原の教材だけを残した。そして、私や私に近かった人達は活動が禁止され、事実上、幽閉 されるに至った(その後、私は反旗を翻して、独立することになるが)。

 しかし、社会から見れば、アレフの人達が、魔境であり、違法行為をしているのだ。だから、アレフの麻原・オウム真理教の教材が使用禁止になり、 逮捕・拘留される流れになるのは、不当な弾圧ではなく、自然・必然なのである。アレフがアレフの価値観で、私達にそうしたように、社会は社会の価値観で、 アレフにそうするのだ。私達は当時のことに怒りは持っていない。よって、アレフも、必然・自然な結果として、それを受け止めるべきだ。しかし、この点で も、歴史は繰り返そうとしている。

 これを理解して、無用な破滅・被害が最小限になるようにできないものか。

 それとも、(暴力行為はしないにしても精神的には)、麻原のように、最後まで社会と戦って果てるという道を行くのか。

 それが麻原に帰依し、麻原と共に生きることだと決めているならば、かつての私のように、もはや、実際にその結果を体験してみなければ、その無智を越えて、先にも進むことはできないだろう。

 しかし、そうでもない自分がいるのであれば、今こそ、現実を冷静に客観的に厳しく見て、妄想を脱却して、大きな変化に適応しなければならない。

 自分たちの教祖と自分たちは特別の存在であり、教祖に帰依していれば、全て奇跡的に上手くいくはずだというのは、何度も繰り返された信者の妄想ではないか。その歴史がこれ以上繰り返されないことを願いつつ、繰り返される可能性にも備えなければならない。 人は色々な経験をして、少しずつ進歩するものだから。


※お知らせ
 本日発売の週刊プレーボーイに、作家・写真家の藤原新也氏との対談の記事がのりました。
 http://wpb.shueisha.co.jp/