こ一年、なんだかとても忙しい一年でした。

心のどこかで、母の急逝を悲しむ気持ちを整理できていないのか、

それとも、それに対しての自分の気持ちに直面したくないのか、

それかきっと、両方ともあるのだろう、ずっと突っ走って来たような感じがします。

ブレーキをかけたくなかったのかもしれません...


人それぞれ、心を癒す方法が違うけど、自分でもこんなリアクションだなんて

思ってもいなかったです。


忙しくしているわりには、充実感の無い日々。ただただ疲労困憊になるだけの日々。

心は空っぽのまま。



昨日、アーサーホーランドさんのFBポスト(アーサー ホーランド FBサイトを読んで、

それがなぜか、少し分ったような気がします。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書くということと、

「忙しさの中にあっても、ゆとりを持つことを忘れないこと」の大事さに気づかされ、

「心を亡くして生きる程、虚しく切ないことはない」というアーサーさんの言葉に

納得せずにはいられません。


そして、今日のアーサーさんのポスト、『ONENESS(一体感)』

『自然との一体感は天地万物を創造したDESIGNER(デザイナー)との一体感に気づかせてくれる』


で、「日々、忙しく蠢(うごめ)いている群衆」というアーサーさんの表現に

「蠢いている」ほど「心にゆとりなく、ただただ忙しいだけ」なことを描写するのに、

適切な表現はないなと思いました。

目的もなく、ただ蠢いていたなと、これも納得です。



これで思い起こされたのが、聖書のマタイによる福音書のこの聖句です。


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

マタイによる福音書 11:28


と同時に、シンガポールの New Creation Church のプリンス牧師が言った言葉で

心に鮮明に刻まれた一言も再び浮き上がってきました。


「あなたが働いている時は、神は休んでいます。

あなたが休んでいる時は、神は働いています。」

(When you are working, God is resting.  When you are resting, God is working.)


私たちが自分の力に頼ろうとすればするほど、神の力はブロックされてしまいます。

逆に、私たちが心から神に委ねるのなら、神の力は十分に発揮されます。


あなたは、考えたことがありますか?

実は、あなたが苦しさから解放されずに、もがき続けているのは、

もしかしたら、自分が「頑張りすぎている」からかもしれないということを。


全ての方法に突きてしまい、途方に暮れているのなら、疲れてしまったのなら、

イエスのところに行くといい。

イエスは休ませてくれることを約束しています。