出典:Life News
先週の金曜日、6月3日に上映開始となった最新のロマンスムーヴィー「Me Before You」
FBに「見た~い!」という数々の投稿を見つけて、興味津々でプレビューを見てみました。
本音を言うと、「うん、素敵。久しぶりに良さそうなロマンスだぁ!私も見たいかも!」というのが私の第一感想でした。プレビューを見た限りでは、別に気になる所もなかったので...
ところが、「見た~い!」というポストとは逆に「Me Before Youをボイコット!」のポストも数々ありました。
それで、なぜ「ボイコットを!」と呼びかけるのか理解するために、関連記事を読んでみました。
簡単にいうと、この映画は、主人公の男の人が事故で首から下、全身麻痺となり、愛する彼女のために出来ることは、自分が死ぬことだと信じ、スイスで安楽死を選ぶというストーリーです。
私がプレビューで見たのは、「全身麻痺になった彼を愛する彼女」というストーリーでした。その後で、さらなるメッセージがあったのは全くの予想外で、ボイコットを呼びかける記事を読んで初めて分りました。
「安楽死」という議論を呼ぶテーマを題材にした映画だったのですね。
カナダは今、「安楽死」を合法として通そうとしています。それが正式になれば、スイス、ベルギーに次いで世界で3つ目に安楽死が合法の国となります。
映画を実際に見てみないと、映画評論はできないのですが、テーマを聞いた今現時点では、「全身麻痺になったから、生きている意味がなくなった。生きている価値がない。」「こんな自分だから、愛する彼女のためを思うなら、自分が死ぬことだ。」という考えはやはり同感できないです。
「全身麻痺になったから、生きる意味がない。」「障害があるから生きている価値がない。」これは、まさしく、ボイコットを呼びかけているグループが最も反論したい論点です。
この世には障害を持って生きている人がたくさんいます。それだけではなく、障害を持って生きている人で、他の人の人生を変えている人がたくさんいます。
例えば、ニック・ブイヂ。手も足もなく、頭と胴体だけで生まれて来て、幼いころには生きているのが肉体的にも、精神的にも辛く、自殺を考えたこともあったものの、両親からの愛と、両親への感謝から思いとどまり、その後、世界中で講演を行い、数知れない人達の心に感動を与えています。彼個人としても、水泳、サーフィン、ボート、魚釣りなど、ありとあらゆるレジャーをこなしています。2012年の2月には結婚し、今は2児の父として新しいステップを歩んでいて、生まれ持った障害によって、人生がストップしていません。
ニックがもし、「こんな自分は価値がない」からと言って、自殺していたら、神がニックの命を通して救えたはずの命も、他の人の人生に与えた感動も、そこで行き止まりになってしまったはずです。
聖書には、こんなストーリーが記述されています。
ヨハネによる福音書 9:1-3
この後、イエスはこの盲人を治します。
障害を持たない私が簡単なことを言うな!と言われるかもしれませんが、障害を持つことにも、目的があり、ただ単に運が悪かったからとか、罰が当たったからでもないのです。
さらに言うなら、神に全てを委ねることによって、障害を持っていることが他の人の祝福になること、そして、それによって、自分の祝福となることを忘れてはいけないと思います。
そして、愛する、愛してくれる家族や友達、周りの人たちのことを思うなら、自分を消してしまうのではなく、現状に置かれている自分には何ができるかということを考える方が本当の愛だと思うのです。
「Me Before You」というタイトルは何通りの意味もあると思いました。
「君の前に自分」(「君よりも自分(の方が大事)」)
「君と出会う前の自分」
「君の前にいる自分」
全ての意味が含まれているような映画ですが、本当の愛は
「You Before Me」(「自分よりも君の方が大事」)
だと思います。そして、肉体の限界まで生きること、生きていることで愛するのです。
先週の金曜日、6月3日に上映開始となった最新のロマンスムーヴィー「Me Before You」
FBに「見た~い!」という数々の投稿を見つけて、興味津々でプレビューを見てみました。
本音を言うと、「うん、素敵。久しぶりに良さそうなロマンスだぁ!私も見たいかも!」というのが私の第一感想でした。プレビューを見た限りでは、別に気になる所もなかったので...
ところが、「見た~い!」というポストとは逆に「Me Before Youをボイコット!」のポストも数々ありました。
それで、なぜ「ボイコットを!」と呼びかけるのか理解するために、関連記事を読んでみました。
簡単にいうと、この映画は、主人公の男の人が事故で首から下、全身麻痺となり、愛する彼女のために出来ることは、自分が死ぬことだと信じ、スイスで安楽死を選ぶというストーリーです。
私がプレビューで見たのは、「全身麻痺になった彼を愛する彼女」というストーリーでした。その後で、さらなるメッセージがあったのは全くの予想外で、ボイコットを呼びかける記事を読んで初めて分りました。
「安楽死」という議論を呼ぶテーマを題材にした映画だったのですね。
カナダは今、「安楽死」を合法として通そうとしています。それが正式になれば、スイス、ベルギーに次いで世界で3つ目に安楽死が合法の国となります。
映画を実際に見てみないと、映画評論はできないのですが、テーマを聞いた今現時点では、「全身麻痺になったから、生きている意味がなくなった。生きている価値がない。」「こんな自分だから、愛する彼女のためを思うなら、自分が死ぬことだ。」という考えはやはり同感できないです。
「全身麻痺になったから、生きる意味がない。」「障害があるから生きている価値がない。」これは、まさしく、ボイコットを呼びかけているグループが最も反論したい論点です。
この世には障害を持って生きている人がたくさんいます。それだけではなく、障害を持って生きている人で、他の人の人生を変えている人がたくさんいます。
例えば、ニック・ブイヂ。手も足もなく、頭と胴体だけで生まれて来て、幼いころには生きているのが肉体的にも、精神的にも辛く、自殺を考えたこともあったものの、両親からの愛と、両親への感謝から思いとどまり、その後、世界中で講演を行い、数知れない人達の心に感動を与えています。彼個人としても、水泳、サーフィン、ボート、魚釣りなど、ありとあらゆるレジャーをこなしています。2012年の2月には結婚し、今は2児の父として新しいステップを歩んでいて、生まれ持った障害によって、人生がストップしていません。
ニックがもし、「こんな自分は価値がない」からと言って、自殺していたら、神がニックの命を通して救えたはずの命も、他の人の人生に与えた感動も、そこで行き止まりになってしまったはずです。
聖書には、こんなストーリーが記述されています。
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
ヨハネによる福音書 9:1-3
この後、イエスはこの盲人を治します。
障害を持たない私が簡単なことを言うな!と言われるかもしれませんが、障害を持つことにも、目的があり、ただ単に運が悪かったからとか、罰が当たったからでもないのです。
さらに言うなら、神に全てを委ねることによって、障害を持っていることが他の人の祝福になること、そして、それによって、自分の祝福となることを忘れてはいけないと思います。
そして、愛する、愛してくれる家族や友達、周りの人たちのことを思うなら、自分を消してしまうのではなく、現状に置かれている自分には何ができるかということを考える方が本当の愛だと思うのです。
「Me Before You」というタイトルは何通りの意味もあると思いました。
「君の前に自分」(「君よりも自分(の方が大事)」)
「君と出会う前の自分」
「君の前にいる自分」
全ての意味が含まれているような映画ですが、本当の愛は
「You Before Me」(「自分よりも君の方が大事」)
だと思います。そして、肉体の限界まで生きること、生きていることで愛するのです。