高校卒業後、家を離れてからも、
毎年の誕生日には母からのお祝いの言葉が届いていました。
思い出せば、二十歳の誕生日にひどい風邪をひいてしまい、
カリフォルニアで一人寂しく「闘病」中、
家族のメッセージが入ったFAXが届き、心がすっごく温かくなったのが
今でもはっきり思い出せます。
弟妹たちも成人し、実家には父と母しか残らなくなった後でも、
毎年欠かさず、誕生日にはお祝いの電話が鳴りました。
3日前、今年の誕生日を迎えました。
電話も鳴らなく、母からのメッセージもありませんでした。
母は、闘っていました。
どんどんこの世界から消えてしまうことと...
そして、バレンタインデーに受け取った
親族と友人からのメッセージを胸にいっぱい抱いて
翌日、2月15日に永眠しました。
今ふと、これからの誕生日には、もう母からのお祝いの電話が
かかってくることはないことに気づきました。
これからの誕生日に、私は母のことを思い出すでしょう。
母の命日と私の誕生日が3日しか違わないことは、
これからの誕生日は、嬉しさよりも、悲しさの方が多くなるだろう
と思っていました。
でも、そうじゃなくて、どっちみち思い出すのなら、
母との素晴らしい想い出、母の命を祝福する一コマ一コマを思い出すことにしよう!
今、そう思いました。
母からの「ハッピーバースデイ」は途切れても、
母との想い出はこれかも私の中で生き続きます。
(*写真は妹が描いてくれた誕生日カップケーキ。
母のお祝いの電話の代わりに心をぽかぽかにしてくれました。)
毎年の誕生日には母からのお祝いの言葉が届いていました。
思い出せば、二十歳の誕生日にひどい風邪をひいてしまい、
カリフォルニアで一人寂しく「闘病」中、
家族のメッセージが入ったFAXが届き、心がすっごく温かくなったのが
今でもはっきり思い出せます。
弟妹たちも成人し、実家には父と母しか残らなくなった後でも、
毎年欠かさず、誕生日にはお祝いの電話が鳴りました。
3日前、今年の誕生日を迎えました。
電話も鳴らなく、母からのメッセージもありませんでした。
母は、闘っていました。
どんどんこの世界から消えてしまうことと...
そして、バレンタインデーに受け取った
親族と友人からのメッセージを胸にいっぱい抱いて
翌日、2月15日に永眠しました。
今ふと、これからの誕生日には、もう母からのお祝いの電話が
かかってくることはないことに気づきました。
これからの誕生日に、私は母のことを思い出すでしょう。
母の命日と私の誕生日が3日しか違わないことは、
これからの誕生日は、嬉しさよりも、悲しさの方が多くなるだろう
と思っていました。
でも、そうじゃなくて、どっちみち思い出すのなら、
母との素晴らしい想い出、母の命を祝福する一コマ一コマを思い出すことにしよう!
今、そう思いました。
母からの「ハッピーバースデイ」は途切れても、
母との想い出はこれかも私の中で生き続きます。
(*写真は妹が描いてくれた誕生日カップケーキ。
母のお祝いの電話の代わりに心をぽかぽかにしてくれました。)