「ローストビーフのビール煮込み」を作りました。

二度目の挑戦です。

前回、初挑戦の時は、Cider Vinegar が家になくて、

White Wine Vinegar を代用しました。

同じくヴィネガーで、酸味があるのでなんとかなるだろう

と祈りつつ、スロークッカーで煮ること7~8時間。


実は、この時、ビールも家になくて、

(主人も私も普段はお酒を飲まないもので...)

教会帰りにビールストアーに寄ってビールを買い、

煮込み始めてから5時間後にやっとビールを足すことができました。


言わなくとも、ビールの味はお肉にはほとんどしみ込まれていなく、

逆に、ソースはビールの味がとても濃かったです。


幸い、味はまぁまぁでしたが、今回は材料を買いそろえ、再挑戦!


レシピ通りに作れば、こんな味になったんだぁ!と納得。



White Wine Vinegar を代用した時は、酸味が強かったのですが、

レシピ通りにCider Vinegarを使うと、酸味も感じられないくらいに

さりげなく、ほどよく入っていました。

肝心のビールも、今回は最初から入れたので、

ちゃんと均一に味がしみ込み、いかにも「ビール!」

という感じはありませんでした。


「レシピ通りに作る」ということから、

日曜拝礼の牧師さんのメッセージを思い出しました。


「なぜ自分は、神の教えが正しいと信じ、従うのか。」


あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい

ペトロの手紙1 3:15

と、聖書には書かれてあります。


この世界にに生きるクリスチャンは、

神の教えに背いた教理の中に生きながら、

神の教えを貫く生き方をしなければならない

というプレッシャーを持っています。


そんな中、どうやって、神の教えを貫くのか。


一つに、神の動機が自己中心で利己的ではない

ということを覚えておかなくてはなりません。

神の成すことは、私たちを思ってすることです。



自分の子供を守るために、ルールを規定し、

攻撃する者がいれば、子供の前に出て盾となる親のように、

神が聖書を通して言っていることは、私たちを守るためのものであります。

束縛するためではありません。



もう一つは、私たちが神の教えに従った時、裏切られることはない

ということです。


義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

マタイによる福音書 5:6


と神は約束してくれています。

神の義に飢え渇く人は、神の義を求めます。

「神の義」とは、神の教えに従った人のふむべき道。

神の教えに従った通りに生きるなら、私たちは満たされます。



私が欠けていたものを他のもので代用したように、

料理はそれでも出来上がるかもしれません。

でも、
レシピ通りに料理をした時とは、味が違ってきます。

最高の味となるようなレシピーがあるなら、

どうして他のものを代用するのでしょう?


最高の人生となれる「レシピ」はすでに与えられています。


「レシピ通り」に「料理」するかは私たち次第です。



bon appétit!